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新潟日報-Nippo On-Line

第7回 識者2氏に聞く
第6回 なぜ新潟に万景峰号が往来しているのか

第5回 なぜ海保、警察は不審船を防げなかったか
第4回 なぜ政治は解決できなかったか
第3回 政治家の介入
第2回 疑問その1 なぜ日本人を狙ったのか
第1回 国家犯罪の闇深く 「巻引き」に危機感


 北朝鮮による日本人拉致事件について多くの報道が流れる中、もう一度原点に戻って事件の全体像を俯瞰(ふかん)してみる。初回は、なぜ北朝鮮は拉致を行ったのか、なぜ2002年9月にそれを認めたのか、そして北朝鮮はどんな国なのか−。そもそもの「なぜ」を識者や関係者に聞き、まとめた。併せて安否不明者10人と、拉致された可能性の排除できない特定失踪(しっそう)者のリストを掲載し、全面解決へ向け「絶対あきらめない」という家族の思いを伝える。


第6回 なぜ新潟に万景峰号が往来しているのか(2004年06月27日掲載)


ルーツは帰還事業 送金ルート存続図る

在日、帰国者に募る愛憎


特定船舶入港禁止特別措置法が成立後、初めて新潟西港に入港した「万景峰号」=16日午前8時30分ごろ、新潟市竜が島1

 北朝鮮が拉致問題を認めた2002年9月の日朝首脳会談以降、全国注視となった北朝鮮の貨客船「万景峰号」。「なぜ万景峰号が、拉致が多発した新潟と、国交のない北朝鮮を往来しているのか」−。日朝間唯一の航路として今も残るのは、9万人以上の在日朝鮮人と日本人配偶者を送り出した帰還事業という歴史が背景にある。帰国者の北朝鮮での現実はどうだったのか。万景峰号を想定した「特定船舶入港禁止特措法」とはどんな法律なのかを解きほぐす。



      ◎       ◎       ◎ 

 「何もかも、だまされた」。帰還事業で北朝鮮へ渡り、その後脱北して日本へ戻った在日朝鮮人の朴秀一さん(仮名・40歳代)は、絞り出すように記憶を語り始めた。

 拉致問題がクローズアップされるとともに全国から注視されるようになった万景峰号。そのルーツは1959年に始まった帰還事業にある。

 在日の大半は韓国側の出身。だが日本での生活苦や差別で、多くの在日が、出身地とは関係なく、北朝鮮系の在日本朝鮮人総連合会(総連)などが宣伝した「地上の楽園」を信じて帰国した。

 が、現実は正反対だった。60年代初頭に帰国した兄から手紙が届いた県内在住の在日男性=60歳代=は「祖国礼賛の文面の最後に、数行だけ生活物資の無心が書き添えてあった」と語る。在日社会で「北での生活は想像以上に厳しい」とのささやきが広がり、61年以降の帰国者は激減。67年に事業はいったん中止された。

 しかし総連は帰国事業の再開を求めた。北朝鮮と総連にとっては、帰国そのものより「往来存続」が重要だったためだ。総連の元幹部は「日本からの現金持ち込みや、船内で直接本国からの指令を出せるなどのメリットがあった」とする。

 再開を認めさせるために帰国希望者の数を増やさなければならず、総連は勧誘に力を入れた。特に若い世代が狙われた。運動の結果、71年に帰還事業は再開される。


         ×        ×

 70年代初頭、当時中学生の朴さんは新潟から初代万景峰号に乗った。日本で大学進学できなかった姉が「祖国は、向学心さえあれば誰でも学べる」と帰国を強く望んだため一緒に帰ったのだ。

 だが現地では自由はなかった。出身成分と年齢を理由に姉は労働者になるよう命じられた。数年後、上司の不正を批判した姉は「精神を病んだ」と断じられて「病院」送りに。後に「病死」と朴さんに伝えられた。

 「資本主義を知っている帰国者は警戒される対象で『帰胞』と差別された。密告社会で、人間不信になる人も多かった」

 将来の出世は見込めず、現地に親族や知人がいない帰国者たち。「日本からの仕送りに期待せざるえなかった」と脱北者たちは口をそろえる。

 90年代半ばになると、不況の影響で日本の親族からの仕送りは途絶えがちになった。食糧難で配給はストップし、朴さんの住む地域でも餓死者が相次いだ。家畜の餌まで食べ尽くし「このままでは一家全滅だ」と脱北を決意。数年前、中国経由で日本にたどり着いた。


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 帰還事業で約9万3000人を送り出し、拉致が多発した新潟。今、日朝間の象徴的存在に映る万景峰号の入港に対する風当たりは小さくない。

 「総連が『人道航路』と主張するならば、日本からの一方通行ではなく、帰国者や拉致被害者も乗せてくるべきだ」「不正と疑惑にまみれた船はいらない」

 在日や帰国者は、この船に割り切れない思いを抱えている。

 70年代に帰国し、数年前に脱北した女性=30歳代=は「郵送では、途中で抜かれるので中身はほとんど届かない。元山港へ行き、親せきから手渡しで荷物をもらった。地獄に仏だった」と回想する。「乗りたくて乗っているわけではない」と在日一世の男性=70歳代=はこぼす。

 92年に2代目となった万景峰号。今も親族訪問者と多くの愛憎を詰め込んで、日朝間を往来し続ける。

 朴さんは日本に戻り、初めて拉致問題の存在を知った。海を隔てて家族が引き裂かれたこと。国家から見捨てられ長年放置されてきたこと…。「帰国者と同じではないか」。被害者とその家族の境遇に通じるものを感じ、涙した。

 帰還事業で帰国した叔父がいた辛淑玉・明大特別招聘教授は問い掛ける。

「拉致被害者、帰国者、在日、北朝鮮の民衆。すべて国家や体制にほんろうされた犠牲者だ。右とか左とかで色分けせず、人権問題の観点で、ともに知恵を絞っていくことはできないだろうか」


  ◎制裁想定の入港禁止法
               ●「発動せず」で骨抜きに

 6月成立した特定船舶入港禁止特措法。改正外為法に続く「制裁カード」の第2弾だ。この法律は、国の平和と安全に必要と認めた場合、特定の国籍の船やその国に寄港した船の入港を制限できる内容。日朝間の象徴的存在、貨客船「万景峰号」も視野に入れている。この法律のポイントは、日本独自の判断で、制裁が可能になった点にある。

 北朝鮮を念頭に置いた経済制裁法の整備を求める意見は、1998年に弾道ミサイル「テポドン」が日本列島を越えて三陸沖に着弾したときにも出た。当時は自民党の一部若手が訴えたが、党部会レベルでも論議の対象とされなかった。

 ずっと現実味を帯びなかった制裁論議。流れを変えたのは「拉致に尽きる」と関係者の1人。02年末から議員立法の動きは本格化し、03年11月の総選挙前に実施された全候補アンケートでは、当選者の約4分の3が「入港禁止法案成立に賛成」と回答。「与野党とも成立に反対できないムードになった」(拉致議連メンバー)
 ただ、政府や与党の中に慎重意見は少なくなかった。「港はオープンであることが原則」「日本単独での制裁では実効性がない」「経済制裁は軍事行動の前段階。慎重であるべきだ」などだ。

 同法について重村智計・早大教授は「いつでも制裁が可能だという国のメッセージとして意義がある」と指摘する。

 同法が成立する前の5月、再訪朝した小泉純一郎首相は、金正日総書記に対して「平壌宣言を順守する限り発動しない」と明言。この発言を重村教授は「制裁カードは『発動するぞ』とじらしているときが最も効果が高い。実質的に骨抜きにされた」とみる。これまで政府は「対話と圧力」方針を掲げていた。それだけに家族は「圧力を外し、どう解決を目指すのか」という疑問を募らせる。家族が期限を切って発動することを求めているのも「高齢で時間がない」焦りのあらわれでもある。

 「コリア・レポート」の辺真一編集長は「家族は制裁発動自体が目的ではなく、被害者救出が目的だ。政府は発動しないならば、その理由と、解決への指針を説明する責任はあるのではないか」と語る。