新潟県縦断駅伝2017

熱戦の軌跡

「第1回東京-新潟駅伝」のゴール。箱根駅伝もかくや-の大にぎわいと熱狂だった=1959年10月11日、新潟市・東中通の旧新潟日報本社前

 秋の越後路を2日間わたって、地域の代表ランナーが1本のタスキをつなぐ「新潟県縦断駅伝競走大会」。今年で69回を迎えるこの大会はこれまで多くの県民に親しまれ、数々の名勝負を生んできた。

 第1回大会は、1948(昭和23)年5月2日、新憲法施行1周年を記念し、県陸上競技協会、県連合青年団との共催で、長岡市役所前~新潟市東中通の新潟日報社前の6区間67・2㌔で実施された。 名称は「長岡―新潟間郡市対抗駅傳競走大会」。長岡市チームが4時間22分45秒で第1回大会優勝の栄を受けた。11チームが参加し、2位以下は中蒲原郡、新発田市、西蒲原郡、中頸城郡、柏崎市、東蒲原郡、新潟市、 南蒲原郡、北魚沼郡、三条市の順だった。第7回大会からはスタートが高田(上越市)まで延長され、距離は151㌔、15区間で「高田‐長岡間」「長岡-新潟間」に分けて1日で競った。

 第10回大会から2日間通しの開催となり、同一選手の2区間出場が可能となった。第15回大会はコースを新発田市経由に変更し、第17回大会はスタートを市制施行10周年の新井市(現妙高市)に延長され、 総距離は199・8㌔、現在の大会の原型となった。この大会では後にメキシコ大会から3大会連続で五輪に出場した宇佐美彰朗選手が西蒲原郡チームで出場、1区と16区で快走した。

 それまで4月下旬に行われてきた大会は、第25回以降、秋の開催に移った。第25回、直江津・高田両市合併により、両チームの主力選手で新生「上越市チーム」が誕生。2日間とも圧倒的な強さで他を寄せず、 24分の大差をつけて完全優勝した。

 第29回から38回にかけて新潟市チームと北蒲原郡チームが5連覇に王手をかけたが、互いのチームが偉業を阻止する結果となった。

 高校生を中心に編成した十日町市チームが第39回大会で悲願の初優勝を果たすと、第44回大会までの6年間で5回優勝するなど旋風をまき起こした。第45回大会ではゴールが新潟市東中通(旧新潟日報本社前)から 新潟市陸上競技場へ変更した。第46回大会では最多となる30チームが参加。50回の記念大会では上越市チームが大会記録を5分以上縮め3連覇を達成した。

 第51回大会から第60回大会にかけても(第57回大会は新潟県中越地震のため中止)8回優勝するなど「上越黄金時代」を迎えた。平成の大合併で自治体の構成が大きく変わったことにより、 第59回大会から大会名を「新潟県縦断駅伝競走大会」に変更した。第60回大会からは次世代を担う中学生区間を2区間新設し、18区間となった。

 第61回以降、上越市、新潟市中央、新潟市西蒲、十日町市などに加え、戦力が充実してきた見附市チームが上位に食い込むなど新興勢力が台頭してきた。

ニュース・フィルムで振り返る"駅伝懐かし映像"

新潟日報ニュース「高田―新潟 駅伝競走大会(昭和35年)」

<新潟日報ニュース・フィルムとは?>

テレビが一般に広く普及する以前の昭和30年代に新潟日報社が制作・公開していたもので、数々の貴重な映像が残されている。

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