特集 汗の原点        
スポーツと地域の新しい関係

 額ににじむ汗が、心地よい季節がやってきた。
真夏の照りつけるような日差しから解放され、
さわやかな風が吹き抜けるようになると、自然と体を動かしたくなる。
今年はトリノ冬季五輪、野球のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)、
サッカーワールドカップ(W杯)など世界的なスポーツイベントが相次ぎ、
3年後の新潟国体開催も正式に決まった。
人気スポーツへの注目度が高まる一方で、スポーツを愛し、地道に汗を流し続ける人たちがいる。
そんな人たちにスポットを当てながら、汗の原点を考えてみた。
季刊 情報文化 2006.AUTUMN


 夏休みに入った7月下旬、生徒のざわめきが消え、静まりかえった県立長岡聾(ろう)学校の廊下に、小気味いい足音が響く。外は雨だ。全国高校総体(インターハイ)の陸上競技女子やり投げに出場した高等部三年の佐々木まなみさんが、黙々と助走練習を繰り返していた。

 佐々木さんは今春の県高校総体で、大会新記録となる41b46を投げ優勝。北信越高校 総体ではさらに記録を伸ばし、42メートル43の自己ベストで4位に入り、インターハイへの切符を得た。インターハイでは、残念ながら予選落ち。しかし、耳が聞こえにくいというハンディに負けず、全国の強豪に交じって奮闘する身長150センチの小柄な姿に、会場から大きな拍手が送られた。

 健常者にとっては当たり前のことでも、気を遣わなければならない。例えば、大会では審判の指示が聞きにくいことがある。そんな時、審判や近くの選手に直接聞いて確認する。

 競技中は、選手の名前と顔、ゼッケンを覚え、自分の試技順を間違えないようにする。苦労が多い。だが、「体を動かしていないと気が済まない。スポーツをしない生活は想像できない」と日焼けした顔をほころばす。
 中等部時代は野球部に所属。男子生徒の中に入っても抜群の野球センスを発揮し、投手とショートで活躍した。投手として肩の強さを見込まれ、高等部1年の秋、やり投げに転向した。


 小さいころ、父親とキャッチボールをした。狙ったところに投げられたときの喜び、バットに弾かれたボールが空高く舞い上がるときの感触…。野球ができる喜びは、健常者より大きかっただろう。

 小学校では水泳、ソフトテニスも楽しんだ。スポーツをしているとき、佐々木さんの小 柄な体は、実際よりも大きく見える。将来は事務関係の仕事につくことを目指しているが、「できれば、スポーツをずっと続けたい」。

 トン、トン、トトト…。何度も助走を繰り返す。高まっていく鼓動が心に直接響いてくる。空高く弧を描くやりの軌跡を確認するように、そのまなざしはまっすぐ前を向いていた。

写真=県高校総体で大会記録をマークした佐々木まなみさん。「もっと遠くへ」−。卒業後もやり投げは続けるつもりだ。


夢追いかける奮闘
 チェアスキーでW杯にも出場している福祉機器会社社長の鈴木純也さん(39)=新潟市北上2=は一昨年、競技からの引退を考えた。だが昨年、障害者施設の指導員対象の講演原稿を準備をしているとき、「もう記録がのびないなら仕方ないけど、年齢を理由に引退なんてかっこ悪いな」と思い直した。現役続行を決意し、昨シーズンは国内大会の大回転、回転で優勝した。

 鈴木さんは大学生だった20歳の夏、バイク事故で背骨が折れ、胸部から下が動かなくなった。いまは車いすで生活している。事故の前は趣味でスキーを楽しんでいたが、障害を負った後、5年ほどスポーツをしなかった。リハビリ中にチェアスキーを勧められたが、「いまさら見せ物になりたくない」と断っていた。

 転機になったのは、1992年のアルベールビル・パラリンピック。スキー選手の滑りをビデオで見て「かっこいい。これならやってもいいな」。スキーの経験があったので、すぐにできるようになると甘く見ていた。しかし、チェアスキーに乗ってみると、まったく滑ることができなかった。転んだら、一人で起き上がることさえ不可能だった。

 体力不足を痛感し、車いすバスケットボールやマラソンで鍛えた。体力がついてくると、スキーの技術も向上した。夏場は、1年中スキーができる千葉県の屋内施設に週一回通うなど、努力を重ねて日本でトップクラスのチェアスキー選手に成長した。

 雪を求めて遠征するスキーは、とにかくお金がかかる。「15年間やっていますが、貯金していれば家一軒くらい建ったのではないか」と苦笑する。鈴木さんにとって、それだけのお金をつぎ込むほど、チェアスキーをやれる喜びは大きかったのだろう。トレーニングのためジムにも通う。「まだ速くなれるんじゃないかと、競技にしがみついています」。

 障害があるからこそ、スポーツへの思いはより強く、純粋なものになっていく。その姿を撮り続けているアマチュアカメラマンがいる。新潟市五十嵐中島5の大滝登さん(63)が障害者スポーツを追い始めたのは8年前、長野パラリンピックでの体験がきっかけだった。アイススレッジホッケーを観戦しながら、目の前で繰り広げられる外国人選手の激しいぶつかり合いに沸き立つような感動を覚えた。懸命にパックを追う選手に声援を送り、会場でウエーブが起きたときには、思わず一緒に立ち上がった。「選手が負けると監督がしかりつけるような場面が嫌いで、スポーツに対して冷めたところがあったのに…」。興奮を抑えられない自分が不思議だった。「彼らが頑張っている姿を追っていると、思わず涙が出ることがある」。自分の可能性に挑戦するひたむきな姿、スポーツを楽しもうとする純粋さ―。

 ファインダー越しに伝わってくる感動は、あの日と変わることがないという。
写真=新井リゾートで開かれた障害者のスキー大会で力強い滑りを披露する鈴木純也さん。大滝登さんが撮影した。


スポーツの原点
 障害者スポーツに大滝さんが感動を覚えるのは、そこに原点の姿があるからかもしれない。スポーツの語源は、ラテン語のデポラターレ(deporatare)といわれ、日常から離れた「余暇活動」「レジャー」などを意味する。サッカーの起源も、中世イングランドで行われていた「遊び」だった。年一回のお祭りの日、村をあげて一つのボールを追い、奪い合う。勝敗よりも、ボールの争奪戦を通した肉体的な接触が目的だった。くんずほぐれつのぶつかり合いに、老若男女が熱狂したという。「遊び」続けるには、ゴールは遠いほど良く、フィールドが村の端から端までということもあった。

 日常生活から解き放たれて、体を動かすことを純粋に楽しむ。「遊び」には、勝ち負けはあっても勝つことのみにこだわる勝利至上主義はない。うまくできるように自分なりに工夫することはあっても、「国のため」「母校のため」といった精神主義をたたき込まれるようなこともない。楽しさを追求することが「遊び」であり、だからこそ人は時として真剣に「遊び」に打ち込む。スポーツの原点。それはスポーツそれ自体を楽しむことだ。


楽しさ置き去り
 翻って私たちはスポーツをどれだけ楽しめているだろうか。
県が成人男女2000人を対象に実施した「スポーツに関する県民意識調査」(2004年)によると、ほぼ4人に1人が「過去1年間1日も運動やスポーツをしていない」と回答。その理由について2割近くの人が「運動・スポーツは好きではない」ことをあげた。

 運動嫌いな子どもも増えている。1980年代以降、歯止めの掛からない子どもたちの体力低下に「運動経験の不足が深くかかわっている」と指摘するのは新潟大教育人間科学部の山崎健教授だ。同大学が1994年から県内の小学生を対象に行っている「子どもの生活時間と健康体力調査」からは、運動経験の不足が子どもたちの健康だけでなく運動への意欲にも影響を及ぼしている様子がうかがえる。

 例えば、「隠れ肥満」の増加だ。「『潜在的肥満』の危険因子を抱えるいわば生活習慣病予備軍だが、体を動かさないことから食事量も少なくエネルギー不足のために活動への意欲が低下して、ますます運動嫌いになっていく傾向がある」。外で遊ぶことが「楽しくない」「嫌い」という子も多く、「こうした状況を放置すれば、将来の社会生活に大きなリスクを負いかねない」と、山崎教授は警鐘を鳴らす。

 本来、楽しむことが目的のスポーツを楽しめない。こうした現状の背景をスポーツライターの玉木正之さんは「明治以来、長い間日本のスポーツは教育と興行だけで、本当のスポーツが育たなかった」ためと説明する。

 近代スポーツの発祥地でもあるヨーロッパでは「遊び」を楽しむために地域住民がお金を出し合い、スポーツクラブという集いの場を自らの手で作り出していったのに対し、日本でのスポーツ振興は行政の主導のもと学校と企業が長くその中心的役割を担ってきた。だが、学校では体を鍛える体育や、高校野球などに代表される“人間形成”という名の教育の一環として、企業では主に宣伝媒体として扱われ、規律や勝ち負けが最優先される一方で、「楽しむ」という原点は置き去りにされてきた。

 一方で、日本のスポーツはいま、大きな転換点を迎えてもいる。まず第一に、学校や企業がスポーツを支えきれなくなった。学校では体育の時間が減り、各競技人口を下支えしてきた学校の部活動も、2004年までの10年間に全国の中学校では1500を超える陸上競技部が姿を消すなど「少子化に加え指導者の高齢化や指導力不足から競技種目によっては活動を継続することが困難な状況が生じている」(文部科学省)のが現状だ。

 企業スポーツも同様だ。文科省の推計によると、1990年代の長期不況で100以上の企業の運動部が廃止され、県内でも北越銀行女子バレーボール部や東北電力新潟女子バドミントン部がリストラの波に飲み込まれた。


地域で育てる
 競技力の向上や選手育成にとどまらず、高齢者や次代を担う子どもたちの体力、健康づくりをだれが支えていくのか。答えの一つとして国が打ち出したのが、だれもが継続的にスポーツを楽しめる「総合型地域スポーツクラブ」の育成だ。「2010年までに全国の市区町村に少なくとも一つは総合型クラブを育成する」という政策目標のもと、県内でも既に36市町村中、12市町村に23クラブが設立され、さまざまな活動が展開されている。

 世代を超えて楽しめるニュースポーツに力を入れているのは岩船神林村の総合型地域スポーツクラブ「希楽々(きらら)」だ。スポンジのボールをラケットで打ち合う「スポレック」もその一つ。高齢者でも無理なくプレーでき、ラリーが長続きするため、幅広い年齢層が参加できる。毎週火曜日の練習には中学生から60歳代まで老若男女約30人が集い、ミニテニスのようなゲームを楽しむ。

 「日常生活では汗をかくことが少ないので、スポーツで流す汗がとても気持ちいいです」。同村飯岡の田島ヨウ子さん(62)も、スポレックの魅力にとりつかれた一人だ。昨年9月に友人と一緒に入会するまで、スポーツをしたことはほとんどなかったが「いろんな仲間ができたしすごく楽しい。若い人に負けないように頑張っています」と息を弾ませる。

 クラブマネージャーの渡辺優子さんは「いろんな世代が一緒になって楽しめるのがニュースポーツのいいところ。スポーツだけでなくカルチャーにも力を入れ、スポーツが苦手な人にも参加してもらえるように工夫している」と話す。

 新発田市五十公野の屋内体育施設「サンビレッジしばた」で週一回開かれている「ちびっこスポーツ教室」。「ごっこ遊び」を通して、野球やサッカーなどさまざまなスポーツを体験させたり、動くことの楽しさを体感してもらったりすることを目的に、NPO法人の新発田市総合型地域スポーツクラブ「トライ夢」が主催しているもので、小学1―3年生が対象だ。

 土曜日の朝、20組余りの親子が、三々五々集まってきた。この日のメニューは「リズム体操」。「足じゃんけんするよ」。インストラクターの動きに合わせ、子どもたちが元気よくはね回る。ゴムボールに座ってバランスをとったり、音楽に合わせて左右に体を揺らしたり、柔軟体操を交えて約一時間、たっぷりと汗を流した。必死にインストラクターの動きを追う子、歓声を上げながらじゃれ合う子とさまざまで、その雰囲気は「教室」というより「遊び」に近い。

 「疲れるけど、みんなですると楽しいよ」と話す長谷川大希君(6)は旧紫雲寺町から通う。「テレビを見たり、家の中で遊んでいたりすることが多くて、あまり外で遊ばなかった。でも最近は教室をきっかけにしてサッカーに興味を示すようになり、近所の上級生に教えてもらったりしている」と母親の亜希さん(29)。長女の悠衣ちゃん(6)を通わせる同市住吉町の斉藤典子さん(33)も「体を動かすのは好きなんですが、外では車が多くて目が離せない。ここでなら思い切り運動させられるし、いろんなことに挑戦して、好きなスポーツをみつけてくれれば」と話す。


 原っぱや路地裏といった「遊び場」が姿を消し、外で群れ遊ぶ子どもたちを見かけなくなって久しい。トライ夢事務局の村田憲治さんは「かつては走ったり身をかわしたり、ものを投げたりといったスポーツの基本動作は遊びのなかで自然と身につけたものだが、いまの子はそういう経験をあまりしていない。より多くの子どもにスポーツの楽しさを伝えるためにも、子どもたちを遊ばせることができる場を地域に確保していきたい」と狙いを語る。

 だが、定着には課題も多い。新潟大で地域スポーツ支援論を教える県体育学会前会長の岡野崇彦さんは「自分たちでクラブを育てていく意識を持って住民が主体的に参加していくことが何よりも大切だが、実際には従来型の行政主導で設立されているという矛盾を抱えている。一方で、これまでの行政主導のスポーツ振興のなかで住民にも『スポーツの機会は与えられるもの』『スポーツはただ』といった意識が根強くある」と指摘。その上で「住民参加を促すにはクラブを出合いやコミュニケーションのよりどころにしていくことが必要だろう。そもそもお祭りから発展したスポーツは、人々の出合いや連帯感を醸成するコミュニケーション機能を備えてもいる。出合いのツールとしてスポーツを活用する。そんな意識を持ってほしい」と呼びかける。
写真=思い思いに体を動かす子どもたち。心地よい汗に、自然と顔がほころんでいく

新しい価値
 ホーム「ビッグスワン」に4万人前後の観客を集めるご当地「アルビレックス新潟」。毎試合のように足を運ぶという新潟市内の会社員は、そろいのユニホームで老若男女が声を合わせて「新潟」の名を連呼するスタジアムの雰囲気に「日常では味わえない開放感を満喫できる異次元空間。ストレスを発散し、明日への活力をもらっている」と酔う。

 四国アイランドリーグでは地元農家が「一俵入魂」と名付けた米をチームに差し入れたのをきっかけに、球場などでの販売を始めた。「一水入魂」という地酒も生まれ、ブランドとして全国発信されようとしている。
 地域がスポーツを育てることで人が集い新しい価値が生み出され、地域づくりへの宝となっていく。
 2009年には2巡目となる「トキめき国体」、さらに「全国障害者スポーツ大会」を控える本県。一巡目の国体では選手、指導者を「移入」することで頂点を極めたが効果は長続きせず、逆に有望選手が次々に県外に流出していくという「お寒い状況」も招いた。

 競技である以上、勝敗はつきものだが勝ちにこだわることだけが、スポーツではない。「楽しさ」「コミュケーション」―。二つのビッグイベントをきっかけに、スポーツの 原点をもう一度、見つめ直してはどうだろうか。
      (五十嵐義宏、橋本佳周)


◎玉木正之氏インタビュー
 スポーツライターの玉木正之氏(54)に、障害者スポーツの現状や地域のスポーツ振興などについて語ってもらった。

 障害者スポーツは、かつてリハビリかハンディキャッパーのためのものだった。しかし、義足の人が100メートルを9秒台で走り、心臓移植を受けた人が10秒台を出すなどして、考え方が変わってきた。いろんな体を持つ人間の可能性や未来を占っているともいえる。パラリンピックに注がれるこうした先端技術が、産業にもフィードバックされている。市場規模的にも、パラリンピックは無視できない。バリアフリーのまちづくりという意味も含め、そのマーケットはオリンピックよりも広いといわれるからだ。

 パラリンピックには、健常者でもできるスポーツが多い。オリンピックは超人だけが競う遠い存在になってしまった。パラリンピックに出場する選手の方が一般人の肉体に近いという見方もできる。スポーツ界で身障者系のスポーツは除外できないほど大きな存在になってきたが、日本ではそのあたりの意識が弱い。健常者のスポーツは文部科学省、身障者系のスポーツは厚生労働省と所管が分かれていることがおかしい。個人的には、スポーツと文化を管轄する文化省を創設し、教育としてのスポーツのみ文科省の所管にすればいいと思う。

   ◆  ◆  ◆

 サッカーのJリーグが発足したころ、鹿島アントラーズと清水エスパルスが成功例といわれたが、現在はアルビレックス新潟と大分トリニータだろう。新潟は観客を増やすために、無料券を配布するなど営業努力をした。大企業の強力なバックアップがないだけ、日本のスポーツ界特有の甘えの構造を持っていない。Jリーグでも大企業の傘下にあるいくつかのチームは、営業努力をしないため地域の応援が少ない。

 プロ野球でも、地域に比較的密着している日本ハム(北海道)楽天(仙台)ソフトバンク(福岡)阪神はうまくいっている。対照的に、巨人の衰退は目を覆うばかりだ。巨人にとって親会社の利益が第一で、野球を発展させることや都民に還元することは二の次だった。野球に限らず東京にあるチームは、目標をうまく立てられない。なぜなら、東京のスポーツは消費を求めるだけで、文化にはならないからだ。地域のスポーツは消費ではなく、文化や地域活性化の手段になる。

   ◆  ◆  ◆

 総合型地域スポーツクラブは文科省主導で進められ、ソフトが充実していない。指導者も十分でなければ、50年後の展望もはっきりしない。なぜJリーグと組んでやらないのか。日本体育協会はサッカーの傘下に入るのが嫌なのだろう。担当する文科省の職員が異動で2年ごとに変わってしまうなど、スポーツに対するとらえ方があいまいだ。

 たまき・まさゆき
1952年京都市生まれ。東大教養学部中退。スポーツから音楽、演劇など幅広いジャンルで評論活動を展開。主な著書に「スポーツとは何か」「スポーツ解体新書」「不思議の国の大運動会」など。


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