直江兼続(なおえかねつぐ)の実弟、大国実頼(おおくにさねより)が城主を務めた山城「天神山城」の本丸跡。上杉謙信の跡目をめぐり、景勝と景虎が争った「御館の乱」では景勝側に付き、現在のJR岩室駅付近にあった和納館の景虎側と激戦を繰り広げたと伝えられる。今も中腹には、兵士たちの生活用水となった瓢箪(ひょうたん)池のほか、空堀、十三郭(くるわ)など敵の襲撃に備えた防衛拠点の跡が残り、戦国の世をしのばせる=新潟市西蒲区岩室温泉
徳昌寺は与板城主だった直江家の菩提(ぼだい)寺。1479年に建立された。兼続は上杉謙信に仕えた直江景綱の娘、お船と1581年に結婚し直江家を継いだ。直江家の居城だった本与板城と別に与板城を築き、検地や治水など国造りを進めた。徳昌寺には兼続ら代々城主の戒名が記された位牌(いはい)が伝わる。同寺では10年ほど前に兼続とお船の位牌を作り2人を弔った。位牌は与板歴史民俗資料館に展示されている(同館は改修工事のため1月9日まで休館)=長岡市与板町与板
春日山城跡は上越市を代表する史跡。上杉謙信、跡目を継いだ景勝、そして景勝を支えた直江兼続が居城したことで知られる。山頂からは奈良時代以降越後の政治の中心地で、「府内」と呼ばれた直江津地区や流通の要衝となった直江津港などが一望できる。家屋や高層建築物などを頭の中で消し去ったとき、眼下に広がる風景は謙信や景勝、兼続が見ていた景色と大きく変わらないに違いない。地元の人たちはそう思っている=上越市中屋敷
坂戸山(634メートル)を中心に山すそ一帯を含む難攻不落の山城。すそ野に魚野川が流れ、陸上・水上の交通を抑え、盆地を支配する要地にある。直江兼続は5歳のころ、上杉景勝の近習として城に上がり、ここで幼少期を過ごした。1607(慶長12)年に廃城。山頂には実城、ふもとには御館(城主館跡)などが残っており、1979(昭和54)年に国の指定史跡になっている。御館には「景勝・兼続生誕の碑」があり、碑の裏には2人の英雄をたたえる文が刻まれている=南魚沼市坂戸
直江兼続が幼少のころ、上杉景勝とともに学んだ曹洞宗の名刹・雲洞庵。2人が禅師の教えを受けた「方丈の間」や、兼続が定めた「禁制令」の木札などが残る。1429(永享元)年、関東管領執事上杉憲実が金城山のふもとに建立。樹齢300年の杉木立の中にある赤門から本堂に続く参道の敷石の裏に、法華経を刻んで埋めたといわれている。踏みしめてお参りすると功徳があるということから「雲洞庵の土踏んだか」という言葉が生まれた=南魚沼市雲洞
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天神山城跡
徳昌寺
春日山城跡
坂戸城跡
雲洞庵
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