歴史に深く刻まれた過ちを見据えてこそ、指導者の語る平和の誓いも重みが増し、内外の信頼を得られるに違いない。

 それだけに、先週15日の終戦の日にあった全国戦没者追悼式の菅義偉首相の式辞でそうした姿勢がうかがえなかったのは極めて残念だ。

 首相は戦争の惨禍を二度と繰り返さないと述べたが、ならば負の歴史にきちんと向き合うべきだろう。

 首相にとっては就任後、初の式辞だった。新型コロナウイルスに触れた部分を除き、昨年の安倍晋三前首相の内容をほぼなぞる形となった。

 前首相と同様、積極的平和主義の旗の下、世界の課題解決に取り組む決意を強調し、アジア諸国への加害責任や反省に言及しなかった。「過去を顧み、深い反省の上に立って」と述べられた天皇陛下とは対照的だ。

 昨年の安倍前首相の式辞では前年にあった「歴史の教訓を深く胸に刻み」の文言が消え、代わって初めて入ったのが「積極的平和主義」だった。

 積極的平和主義は、集団的自衛権行使容認などを推し進めた安倍前首相がよく使っていたフレーズだ。背景として、米軍などと連携した自衛隊による海外への積極展開の狙いがあるなどと指摘されてきた。

 前首相は周囲に「未来志向の意味合いを込めた」と語っていたというが、だからといって過去を棚上げにするような態度には強い違和感がある。

 先の戦争では、アジアの国々でも多くの人たちが犠牲になった。日本が国民に加え、アジアの人々にも深い苦しみを強いたことは疑いのない事実である。

 平和を維持するには中国や韓国など近隣諸国との関係安定は不可欠だ。それを考えれば、日本は加害の歴史への反省を示すことを怠ってはなるまい。

 菅首相は、歴史から謙虚に学ぶ姿勢を大切にしてほしい。そのためにも、前首相の式辞をそのまま踏襲するようなことはやめるべきだ。

 15日には、萩生田光一文部科学相、小泉進次郎環境相、井上信治万博相が靖国神社に参拝した。15日当日の閣僚参拝は昨年に続き2年連続だ。

 菅首相は参拝を見送り、玉串料を私費で奉納した。

 戦争犠牲者を悼むことには異論はないが、靖国神社は終戦まで軍直轄で国家神道の精神的支柱となった。極東国際軍事裁判(東京裁判)のA級戦犯も合祀(ごうし)されている。

 中韓両国は、靖国神社は日本の軍国主義による対外侵略戦争の象徴とし、閣僚の参拝などについて厳しく反発してきた。

 今回も「中国を含むアジアの人々の感情を傷つける」(中国外務省)などと批判した。

 被害を受けた国々の側から見れば、閣僚参拝や首相の玉串料奉納は遺族や一般の人たちとのそれとは意味合いが大きく異なる。そのことを改めて踏まえなければならない。

 ここでも必要なのは過去の過ちから目をそらさないことだ。