魚沼で過ごした貞心尼に関する新説を盛り込んだ「華厳の愛」を著した本間明さん=長岡市野積
魚沼で過ごした貞心尼に関する新説を盛り込んだ「華厳の愛」を著した本間明さん=長岡市野積

 良寛の仏弟子だった貞心尼(ていしんに)について、結婚を機に移り住んだ現在の新潟県魚沼市に残る伝承や史料を基に、新たな視点で実像に迫った書籍「華厳の愛 貞心尼と良寛の真実」が発行された。出家前に夫と離縁した経緯や、良寛との出会いをめぐる新説を紹介。関係者は「良寛と貞心尼は清らかな交流だった。一部で抱かれているイメージを変えたい」と思いを込める。

 執筆したのは、全国良寛会理事で長岡市の野積良寛研究所所長、本間明さん(64)。貞心尼にまつわる新説は、魚沼市の印刷会社社長、松原弘明さん(64)が祖父から引き継いで長年続けてきた調査結果を踏まえた。

 貞心尼は長岡の武家に生まれ、10代で漢方医の関長温と結婚して小出に移った。24歳で離縁し、柏崎で出家。30歳で良寛と出会ったとされる。

 本間さんらによると、魚沼の一部の伝承を基にした約40年前の論文で、貞心尼は「愛想が悪くて気位が高かった」などと評された。夫婦仲が悪く、夫は別の女性と栃尾(長岡市)に駆け落ちして離縁したとの内容もあったため、貞心尼の人物像に影響し、時に奔放で、良寛とも積極的な男女関係にあるようなイメージを与えてきたという。

 疑問を抱いた松原さんらは、貞心尼と同じ漢字で「ジョウシンニ」と呼ばれる別の尼がいたことを突き止め、「魚沼市内に両者を混同した伝承がある」と考えた。離縁後も元夫が小出にいたとうかがわせる史料も見つけ、駆け落ち説も否定する。

 書籍では、別の伝承などを基に、子どもを授からなかった貞心尼が自ら離縁を申し出たと推測。思い悩んで魚野川に身を投げようとした貞心尼を、旅僧だった良寛が思いとどまらせたのが最初の出会いだったとする伝説も紹介している。

 また離縁後に、元夫が長岡の武家に惨殺されたとの言い伝えもあるため、出家後の貞心尼が良寛に会いに行ったのは、元夫の衝撃的な死がきっかけだったとの見方も示した。

 本間さんと松原さんは7月末、刊行に当たって魚沼市で会見した。松原さんは「2人が出会うきっかけとなった、貞心尼の元夫の経歴を明らかにする必要があった」と意義を語った。

 良寛と貞心尼が交わした歌の解釈なども添えた本間さんは「貞心尼は良寛を後に伝えた最大の功労者なのに、やや誤解されている。素晴らしい仏の道を生きた、2人の真実の姿を描いた」と強調した。

 A5判308ページ。1980円。問い合わせは発行元の良寛堂刊行会(アートプリント角越(かくえつ))、025(792)0101。