東京パラリンピックが閉幕して2週間余り。本県勢の活躍もあり、今も熱戦の記憶が鮮明に浮かぶ。それと同じくらい心に残っているのが開幕直後に本紙に載ったパラ大会を巡る1本の記事だ

▼体に重い不自由があり、全国公的介護保障要求者組合委員長を務める三井絹子さんが思いを語っていた。記事では、障りがある、害がある者と書く「障害者」を使いたくないとあり、本稿もそれにならう。訴えたのは健常者としょうがいしゃとを分ける五輪とパラへの反対や、分けられることへの怒りだ

▼怒りは「できるしょうがいしゃ」をたたえ、それを押し付ける風潮にも向かう。「人はできるしょうがいしゃが大好きで、『あの人たちはしょうがいがありながらも頑張っている』(略)とか、そんな感想を述べていきます」

▼指摘は、ステレオタイプ化されたしょうがいしゃへの見方に対する重い一石だろう。それが頭を離れないのは、今大会でも、メディアなどの視線の底にステレオタイプを感じたせいだ。自分自身も脱しきれたとは言い難い

▼作家のブレイディみかこさんが著書で取り上げた「エンパシー」という言葉を思い出す。自分と異なる人の立場で考え、相手を知ろうとする能力。著書のタイトルを借りれば「他者の靴を履く」力だ

▼三井さんは「いろんなしょうがいしゃがいていい」と強調した。そんな人たちの「靴を履く」ことは、しょうがいしゃ、健常者を問わず、人と人を隔てる多くの壁を越える一歩になるかもしれない。