「牛の角突き」を戦い終えた3歳の闘牛「潮」にブラシをかけてねぎらう坂田寧代さん=長岡市山古志南平
「牛の角突き」を戦い終えた3歳の闘牛「潮」にブラシをかけてねぎらう坂田寧代さん=長岡市山古志南平

 農村計画学が専門の新潟大農学部准教授、坂田寧代(やすよ)さん(47)が、2004年の中越地震で全村避難を強いられた新潟県長岡市山古志地域に住み込み、復興や地域づくりを研究している。牛の世話や交流施設の運営を手伝い、住民の話に耳を傾ける毎日に、山の暮らしの魅力や可能性を実感する。野菜づくりや闘牛といった伝承文化を支えに住民主体で進めた復興や、自然体で続ける地域外との交流が、中山間地活性化のモデルになるという思いを深めている。(長岡支社・樋口耕勇)

 今月10日、山古志闘牛場で開催された伝統行事「牛の角突き」で、坂田さんが所有する若牛「潮(うしお)」が最初の取り組みを飾った。押され気味の展開だったが、立派な突き合いを披露してくれた。「相手が大きいので心配したが、ホッとした」。取り組み後は、潮と場内を回り、観客の拍手に笑顔で応えた。

 長崎県出身で、京都大大学院農学研究科の博士後期課程を修了した。石川県立大でかんがい・排水を学んでいた06年、山古志の養鯉池などの復旧調査を手掛けた。これをきっかけに12年、新潟大に移り、地域の復興を研究し始めた。

 注目したのが木籠(こごも)集落だった。木籠は、震災による土砂崩れで川がせき止められ、あふれた水で25戸のうち14戸が水没した。集落が徐々に水にのまれていく様子を、住民はただ見つめるしかなかった。

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 その後、集落は水没家屋を見下ろす高台に移転した。支援者やボランティアらが多く訪れる中、集落は県中越大震災復興基金を使って交流施設「郷見庵(さとみあん)」を建設し、温かく迎えた。

 集落の支援者や山の生活に豊かさを感じる人が自然と集まり、「山古志木籠ふるさと会」が結成され、坂田さんも13年に入った。

 メンバーは稲刈りや芋掘りを体験し、盆踊りや道普請といった集落行事を手伝っている。復興支援という使命感でなく、純粋な楽しみでつながる輪に、坂田さんは「人口減少に悩む全国の中山間地や被災地の参考になる」と感じた。外部との交流が集落の営みを支えていることや、基金を活用した行政支援について、論文で発表し続けた。

 さらに昨年秋、闘牛のオーナーになったことを機に、「集落の中に入り、自分事として考えることで分かることがある」と思い、新大の研修制度を利用して1年間の移住を決めた。ことし4月に、木籠の空き家に移り住んだ。

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 木籠にはいま9世帯、15人が暮らす。坂田さんは日中は郷見庵の店番に入り、住民や訪れる人と談笑する。方言から山菜の種類まで興味は尽きない。

 夕方から夜は5時間かけて牛舎で掃除と牛の餌やりを手伝う。せわしない毎日だが、住民が野菜を届けてくれ、食事に招いてくれる。「1人で住んでいる気がしない」と感謝する。

 集落も「新しい住民」を歓迎する。住民でふるさと会の松井吉幸会長(63)は「冗談も真剣な話も一緒にできる。『先生』って感じはしないね」と親しみを込めて話す。

 坂田さんは山古志闘牛会の運営にも参加する。ことし初めて企画した闘牛場のライトアップでは、アナウンスを担当した。ウイルス禍にあっても伝統を守りながら、動画の配信など新しい試みに挑戦する闘牛会の活動に刺激を受けている。

 震災から17年。山古志は過疎高齢化や点在する集落の維持など、震災前からの課題にあらためて向き合っている。地域の担い手の世代交代も始まっている。

 坂田さんは「住民の自主的な活動への継続した支援が課題になる」とした上で、「山古志のモデルを発信することが私の応用研究のテーマだ」と語る。

 山深い集落から、復興のその先を見据えている。