かつての会津街道とみられる道標や道祖神を訪ねる研究グループの参加者=魚沼市広神地域
かつての会津街道とみられる道標や道祖神を訪ねる研究グループの参加者=魚沼市広神地域

 かつて魚沼と奥会津を結び、人や馬が行き交った会津街道の六十里越や八十里越が、どのようなルートだったのかを探ろうと、新潟県魚沼市の郷土史家ら有志が研究グループを立ち上げた。街道沿いの住民への聞き取りや文献を基に、現地の痕跡を一つ一つたどっている。歴史をひもとき、共有することで「次の世代に伝えていきたい」としている。

 会津街道六十里越は、堀之内で三国街道から分かれて魚野川を渡り、破間川沿いに上流に向かい、浅草岳の南側を通って只見町に通じる峠道。近世では越後縮の原料となる青苧や雑貨などが運ばれ、物流を支えた。

 その北東側に位置する八十里越は三条から魚沼、只見へと通じ、戊辰戦争で長岡藩家老の河井継之助が辞世の句を詠んだことでも有名だ。

 調査をしているのは、「魚沼歴史民俗の会」が9月に発足させた「会津街道部会」。部会長の清塚正伸さん(79)を中心に、これまでも古文書や地域の伝承を調べてきた。2019年に六十里越が文化庁の「歴史の道百選」に選ばれたことから、その調査結果を昨年小冊子にまとめ、部会を新設した。

 部会には約20人が参加しており、平野部を訪ねる里道と、峠を探る山道とに分けて現地探索を実施している。

 先月中旬に行われた第1回の里道探訪では、魚沼市堀之内から広神側に進んで会津街道の跡と思われるスポットを訪ねた。「飛(ひ)ろせあいつ通」と書かれた道標や道祖神などを見学し、参加者はかつて人々が歩いたであろう様子を想像。長岡市の女性(58)は「昔の面影があるとわくわくする。もう一度来て歩いてみたい」と話した。

 古道の多くはやぶに覆われるなどして見えなくなっており、地域の伝承も時代などを正確に知ることは難しいという。一方で、道を造るため斜面を削った跡なども部分的に残っており「痕跡があることが救いだ」と清塚さん。福島県側の住民から「六十里越を調べたい」との打診があり、今後の連携にも期待する。

 将来は、推定される部分も含め人々が往来した会津街道を、市民に案内することも目指す。清塚さんは「伝承や資料など今あるものを形に残して、後世に伝えたい」と話している。