11月末で閉店する割烹「青木楼」のロビー。「北越商工便覧」に掲載された大正時代の青木楼の絵(手前)が往時をしのばせる=長岡市上田町
11月末で閉店する割烹「青木楼」のロビー。「北越商工便覧」に掲載された大正時代の青木楼の絵(手前)が往時をしのばせる=長岡市上田町

 120年以上の歴史がある新潟県長岡市上田町の老舗割烹(かっぽう)「青木楼」が、11月末をもって閉店する。新型コロナウイルスの影響で減った客足の回復が見通せず、廃業を決めた。おかみの青木美智子さん(67)は「長い間ひいきにしてもらい、本当にありがたかった」と顧客に感謝している。

 明治時代、河川交通で栄えた柿川沿いに、美智子さんの曾祖父・治太郎(じたろう)さんが創業した。正確な創業年は不明だが、祖父の治助(じすけ)さんが生まれた1900(明治33)年には営業していたという。県内の商工業を絵で案内する19(大正8)年発行の「北越商工便覧」にも当時の青木楼が描かれている。

 44年には、学童疎開してきた駒沢国民学校(東京)の児童約60人が、大広間に寝泊まりした。店は45年の長岡空襲で全焼し、戦後に建てた新たな店舗で多くの宴会や冠婚葬祭を受け入れた。

 幼い頃から家業を間近で見てきた美智子さんは「昔は芸者さんも大勢訪れ、華やかだった。活気があった」と振り返る。

 現在の店は86年に建て替えた鉄筋コンクリート3階建てで、それぞれ最大80人が入る和と洋の大広間がある。心地よい時間を過ごしてもらいたいとの思いで、日々の料理や会場準備を手掛けてきた。1時間半以上練ってつくるごま豆腐が人気だった。

 しかし新型ウイルスの感染拡大後、売り上げは通常の8割減になる月もあった。従業員をパート勤務とし予約制で営業したが、影響が長期化する中、今春に閉店を決めた。

 美智子さんは「苦しい決断だった。店を残せず先代には申し訳ない」と残念がる。親子2代での常連客や、店で結婚式を挙げ、後に子どもと食事に訪れる人もいた。「多くの人の人生の節目にも関わることができ、喜びだった」と静かに語った。