黒川石油公園(胎内市)をふむっ子記者が取材

 新潟県といえば米どころとして有名ですが、原油と天然ガスの生産量も日本一です。採掘(さいくつ)の歴史は古く、1300年以上も前に新潟県の原油が天皇(てんのう)献上(けんじょう)されたと、歴史書「日本書紀」に記されています。胎内(たいない)市の黒川油田は、このときの原油を採った地と伝えられています。いったいどんな油田なのでしょうか。ふむっ子記者2人が、油田(あと)にある黒川石油公園を訪ね、採掘の歴史を学び原油くみ出しに挑戦(ちょうせん)しました。

油田跡 知ってほしい

 黒川石油公園にある油田の資料館「シンクルトン記念館」を取材しました。黒川油田の歴史を、資料や模型(もけい)紹介(しょうかい)しています。

 日本書紀には、668年に「(こし)の国」から「燃える水(原油)」が天皇に献上されたと書かれているそうです。昔から原油は、明かりや防腐剤(ぼうふざい)などに使われていました。

 1873年、イギリス人医師シンクルトンが近代的な油井戸の()り方を伝えました。井戸の中に木枠(きわく)をはめることで安全に深く掘れるようになり、原油の採掘が(さか)んになりました。
鉄瓶の口から勢いよく炎を出して燃える臭水油坪跡の原油
 昭和から機械を使った採油が本格的に始まり、最盛期(さいせいき)の1942年には約4千キロリットルもの原油が採れました。胎内市生涯(しょうがい)学習課の伊東(いとう)(たかし)係長(52)は「小学校の給食調理用の燃料にも使われました」と説明しました。

 採れる原油の量は次第に減り、1980年ごろ採掘されなくなりましたが、油井戸は今も残っています。歴史ある黒川油田を、多くの人に知ってほしいです。

(新潟市・小学6年生 山崎(やまざき)桃子(ももこ)さん)

昔の人の工夫すごい

 シンクルトン記念館の近くに、現在も原油が()いている池「臭水(くそうず)油坪跡(あぶらつぼあと)」があります。原油を含む(そう)が地表近くにあるため、自然に()き出して、くぼ地にたまるそうです。昔から伝わる方法で、原油のくみ出しに挑戦しました。

 原油を採るには、シダを束ねた道具「カグマ」を使います。水面に浮いた黒い原油をカグマに(から)ませ、ゆっくり引き上げておけに運び、手で(しぼ)りました。何度か()り返してみましたが、思ったよりも少ししか採れず、昔の人の大変さが分かりました。
臭水油坪跡の原油をカグマに絡ませ、おけに運ぶ内田泉喜さん
 明治にシンクルトンが指導して掘られた油井戸でも原油をくみました。深さは約10メートルで、手作業で掘られたと聞いて(おどろ)きました。ひもの付いたバケツを井戸の中に下ろし、少し()らしてから引き上げると、どろりとした真っ黒な原油がちょっとだけ入っていました。

 昔の人が原油を採るために、たくさんの工夫と努力をしていたと知り、すごいと思いました。

(新潟市・小学6年生 内田(うちだ)泉喜(みずき)さん)
シンクルトンの指導で掘られた油井戸
   

新潟県の原油生産量 全国の6割超!


 新潟県内の2020年の原油生産量は、約32万8千キロリットルで全国の64.2%を占めました。天然ガスは、約17億4千万立方メートルが生産され、全国の76.1%でした。いずれも、日本一の生産量です。

 新潟県内で古くから原油を採っていた地域は、胎内市の他にもあります。柏崎(かしわざき)市の「献上場(おんじょうば)」も、668年に天皇へ石油を献上したと伝えられています。

 出雲崎町は1891年、日本で初めて機械を使って石油を掘り、成功した地です。新潟市秋葉区の新津(にいつ)油田は、明治末期から大正初期にかけ、日本一の産油量を誇りました。ピークの1917年には、年間12万キロリットルに達したそうです。