JR仙台駅西口のペデストリアンデッキ網。全国最大級の規模だ=仙台市青葉区
JR仙台駅西口のペデストリアンデッキ網。全国最大級の規模だ=仙台市青葉区
JR仙台駅西口と東西連絡自由通路で結ばれている東口の駅前広場。ここもペデストリアンデッキが整備されている
JR高崎駅前に広がるペデストリアンデッキ=高崎市

 「都市の第一印象は駅前に降りた瞬間で決まる」-。こんな言葉を残した先人は多い。1982年の東北新幹線開業前に仙台市などは、国鉄(現JR)仙台駅舎改築に取り組み、全国最大級のペデストリアンデッキ(高架歩道)を整備した。昭和期に訪れた作家の故司馬遼太郎氏も「世界のどの都市にもない造形的な美しさがある」と絶賛した。仙台駅の成功を踏まえ、全国各地でデッキを備えた駅が増えた。一方の新潟駅では連続立体交差(高架化)・周辺整備事業の当初案にあった万代口のデッキ建設構想が、前市長時代に事業費圧縮の一環で大幅に縮小された。「駅ナカ」とまち中心部の連携を強める役割が期待されていただけに、「デッキ未完」による“都市分断”を案じる市民は少なくない。(論説編集委員・原 崇)

 JR仙台駅西口に張り巡らされている淡いクリーム色のペデストリアンデッキ網。「空中を歩く感じが気持ちいい」。出張で訪れたという人は笑顔を見せた。東京から東北旅行で訪れた夫妻は「すてきな都市との印象を持った。駅と市街地に一体感がある」と声を弾ませた。

 仙台市の短大に通う学生(20)は「駅を降りて商店街へ買い物に行くのに便利。生まれた時からあり、ないこと自体考えられない」と、日常生活の一部と強調する。

 若い頃、東京の大学に進学していた地元紙の河北新報記者佐藤理史さん(39)は「帰郷時にこのデッキに立つと『故郷に戻ってきた』との感慨を持ったもの」と振り返る。

   ■    ■

 出張や観光で来た人々の評判は上々で、市民にも親しまれている仙台駅のペデストリアンデッキ網は、市交通政策課によると、総面積は約1万3000平方メートル、総延長約1800メートルと全国最大級だ。40年前の誕生時は総面積約8300平方メートル、総延長約900メートルだっただけに、歳月を経ても「成長」を続けていることがうかがえる。

 当時としては先端の技術を採用し、手すりはステンレス製で、支柱はつなぎ目のないものにしている。総事業費(81年当時)は約27億円で、ペデストリアンデッキ主要部の建設費は仙台市(国などの助成含め)が約4分の3、旧国鉄が約4分の1を負担した。一方で、ペデストリアンデッキ主要部から商業施設やオフィスビル、ホテルへの接続部のデッキ建設費は主に施設所有者である民間側が担い、完成後に市側に寄付する形で進められたという。

 今なお総延長が伸びている理由については「駅からデッキで直結しているということでオフィスビルなどの魅力や集客力を高められるという期待感もあるからだろう」と複数の関係者は口をそろえる。

 仙台駅の乗降客数は、新潟駅の3倍近くだ。とはいえ、仙台駅の乗降客は、店舗が充実している駅ナカにとどまらず、近隣商店街にもしっかりと流れている。

   ■    ■

 そもそもなぜ、仙台市ではこんなにスムーズに駅舎改築やペデストリアンデッキ網整備が進んだのか-。

 仙台駅のデッキ建設の技術責任者の一人だった元仙台市建設局長の大黒俊幸さん(83)は「まちづくりに関する官民の一体感醸成や市民の意識の高さに助けられた。何よりも、早期に新駅舎整備に向けた官民の枠組みが決まったことが大きい」と指摘する。

 仙台市史などによると、1971年に東北新幹線の起工式が行われ、翌72年には仙台駅舎改築に向けて宮城県、仙台市、国鉄、仙台陸運局(旧運輸省)、東北地方建設局(旧建設省)、仙台商工会議所による6者トップが基本方針を確認。方針には、デッキ網を整備し、駅前広場を立体的に利用することも盛り込んだ。

 大黒さんは「早い段階で国や国鉄、地元官民の重鎮が駅周辺のまちづくり方針で一致したため、途中で方針がぶれたり、土地問題に悩まされたりすることが少なかった」と語る。

 また、仙台市でまちづくりが比較的順調に進んだ背景には戦後の歩みや風土もあるようだ。「戦災復興余話」などによると、空襲で被災し、終戦後に仙台駅周辺に不法占拠的に建てられていたバラック群は、連合国軍総司令部(GHQ)の権力を背景に行政の強制執行などで撤去された。結果、都市の復興に向けた新たな幹線道路整備も進んだ。

 一方、新潟市は幸い空襲にほとんどさらされなかった。ただ、戦後のまちづくりでGHQの関与は仙台よりは少なかったとされる。

 長年新潟市のまちづくりに関して提言してきた、新潟青年会議所OBで「にいがた22の会」代表の五十嵐祐司さん(69)は「終戦直後から不法占拠的な土地使用について新潟はなあなあにしがちだった。その空気感は昭和を経て平成になっても残り、こうした経緯があってか、私的な土地所有権を強調する一部の人々によって公的なまちづくりが順調に進まなかったことがあった」と指摘する。

 「東北の拠点都市として見事に成長した仙台に比べて、環日本海圏の拠点都市を目指したが、半ばしくじった新潟。駅周辺整備でも官民の意気込みが違った」と五十嵐さん。新潟駅でのペデストリアンデッキの「未完」を「その象徴の一つかもしれない」と言う。

   ■    ■

 仙台駅の成功を受け、全国の駅でも続々とペデストリアンデッキが誕生した。

 上越新幹線と北陸新幹線の結節点である高崎駅(群馬県高崎市)。高崎市都市計画課によると、同駅のペデストリアンデッキは総面積9400平方メートル、総延長1800メートル。92年から一部供用開始され、表玄関の駅西口は、駅前広場から老舗百貨店やホテル、バスターミナルなどに接続。さらに駅東口では、市タワー美術館や高崎芸術劇場までペデストリアンデッキは伸びており、駅と施設との一体感醸成に一役買っている。

 高崎駅周辺の民間による再開発事業とデッキ整備が連動しているのも特徴だ。同課は「デッキの3、4割は民間負担で整備されている」と説明。とはいえ、民間による再開発事業には公的な補助金制度があるため、柔軟にまちづくりのために制度を活用しているケースも少なくないという。

 長岡駅(長岡市)では、約20億円をかけてペデストリアンデッキを2011年に完成させた。総延長は約300メートルで、アーケードのある駅前商店街・オフィス街(大手通り)との利便性向上に加え、市役所などが入居するアオーレ長岡にも直結させた。雪国であることを踏まえ、「屋根付き」にしたことが特徴だ。


◎新潟駅の「未完」まだ続く

 スペインの「サグラダ・ファミリア」。19世紀に着工し、建築家アントニ・ガウディ(1852~1926)らが手掛けた。諸事情で工事は遅延したり、早まったりした。世界遺産登録されたものの2021年の今も「未完」状態が続く。

 教会ではあるが、観光名所でもあるため、「未完」状態であることもまた、壮大な歴史やロマンを観光客が感じる上でプラスに働いている側面もあるらしい。

 一方のJR新潟駅である。駅改築構想が浮上したのは昭和の時代だ。サグラダ・ファミリアのような観光客を呼び込む施設ではなく、実用施設なだけに30年以上の歳月が流れた今も「未完」では駅利用者が困る。

 新潟市などからは「○○年に完成予定」と何度も言われてきたが、新たな問題が生じる度に「事情が変わった」としてさらなる遅延…の繰り返しだった。北陸新幹線金沢延伸による上越新幹線の枝線化を懸念した「2014年問題」に備えて14年までに完成させる-とした目標どころではない大幅な遅延ぶりである。

 駅改修構想を練った草創期には、万代口の東大通りから駅南の弁天線へ一般車両が抜けられるようにすべきだとの意見もあった。ただ、当時はまだ新潟駅周辺や万代地区、古町地区などまちなかが混雑しており、渋滞の懸念から早々にこの意見は「ボツ」になった。

 JR富山駅のように次世代型路面電車(LRT)が駅下を通る案も出た。だがこの案も、専用軌道すらない名ばかりに近い「新潟市版BRT」にすり替えられ、辛うじてバスが抜けられるとすることで終わった。

 新潟駅舎改築は、東北新幹線開業に合わせた仙台駅舎改築に遅れること40年以上。

 遅れた分、せめて後世に残る「雪国」らしい素晴らしい駅舎にするのかと思えば、現時点では微妙だ。

 新潟駅の連続立体交差(高架化)・周辺整備の事業総額は1493億円。2011年に前市長が約300億円の事業費圧縮の一環で、高架化の本来の要である、南北を横断する4本の幹線道路のうち3本を凍結か計画変更した。

 さらに駅ナカと近隣商店街などをつなぐペデストリアンデッキの事業費約30億円も事実上カットされた。

 新潟駅前弁天通商店街振興組合と新潟駅前花園1丁目商工振興会は昨年、屋根付きのペデストリアンデッキの整備を新潟市に要望した。商店街関係者の一人は「冬に雁木風のデッキやアーケードもないまま地上を歩かざるを得ないとなれば、乗降客は買い物や飲食を駅ナカで済ませてしまい、商店街は“分断”され、さびれかねない」と懸念を訴える。

 新潟市の駅周辺整備事務所は、取材に「(駅前のオフィスビルや商業ビルなど)周辺開発が進んでいないため(現状ではデッキ整備を)見合わせている」とした上で「今後の周辺開発の動きを踏まえ、整備するかどうかについて検討したい」との見解を示した。

 新潟駅の「新潟版サグラダ・ファミリア状態」の終わりはまだ見えない。