母校・白新中学校のグラウンドでの交流試合後、後輩の野球部員を激励する水島新司さん=2005年5月、新潟市
母校・白新中学校のグラウンドでの交流試合後、後輩の野球部員を激励する水島新司さん=2005年5月、新潟市

 数々の野球漫画で一世を風靡(ふうび)した新潟市出身の水島新司さんが亡くなった。死去が報じられた17日、水島さんの友人や新潟県内の漫画ファンからは惜しむ声や、新潟を盛り上げてくれたことへの感謝の言葉が聞かれた。

 「子どものころから野球が好きで絵がうまかった。残念で悔しい」

 白山小、白新中の同級生で新潟市中央区の安達辰夫さん(82)は旧友の死を悼んだ。水島さんが帰省する際に顔を合わせることもあり、「若いころには古町の喫茶店で漫画の構想を練っていた。考え込む姿に作品作りの大変さを感じた」と振り返る。

 新潟市中央区の古町通りには代表作「ドカベン」などに登場するキャラクターの銅像が並び、親しまれてきた。訃報の本紙号外を手にした新潟市中央区の主婦(84)は新潟明訓高で教員を務め、「学校関係者は水島さんを誇りに思っていた。古町や新潟を盛り上げてくれたことに感謝している」と話し、五泉市の男性(55)は「銅像の通りをよく通っていたこともあり残念だ」と語った。

 水島さんは、にいがたマンガ大賞の審査員や、新潟市の早起き野球大会の始球式を務めるなど、本県のスポーツ・文化の発展にも貢献した。

 市マンガ・アニメ情報館館長の小池利春さん(53)は「受賞者に『これは俺には描けない』と、豪快に褒める方で優しい人だった」と惜しんだ。

 中原八一市長は「早起き野球大会では、水島先生の野球チームとの記念試合を行っていただくなど、先生のおかげで、全国有数の大会へと成長することができた」とコメントした。

◆甲子園で激励受ける 小林・広島コーチ

 水島新司さんの代表作「ドカベン」は、新潟明訓高がモデルとなった。1991年、同校が夏の甲子園に初出場した時の主戦で、広島東洋カープの小林幹英2軍投手コーチは「水島先生には感謝しかない」と語る。

 夏の甲子園に初出場した際、水島さんに直接会い、激励を受けた。「初出場なのに、みなさんの知名度がすごかった。それもドカベンのおかげ」と奮起。快速右腕として全国区となり、大学、社会人を経て、カープに入った。

 入団1年目の98年には小林コーチは「あぶさん」で主人公を三振に取るシーンに登場。プロ入り後は会う機会はなかったが、たびたび漫画に登場した。「僕が2軍でくすぶっているときも、書いてくださった。自分へのエールだと勝手に受け取っていました」。プロ8年間で通算19勝22敗29セーブ。「もっと活躍する姿をお見せして、先生の期待に応えたかった」と悼んだ。

◆「ドカベンの明訓」で引き受けた 元監督佐藤さん

 新潟明訓高野球部の監督を長年務めた新潟医療福祉大教授の佐藤和也さん(65)は、「『ドカベンの明訓』ということで監督を引き受けた」とのエピソードを明かし、「甲子園出場のたびに電話で『頑張ってね』と応援してくれた。一番の思い出は初出場の時、ドカベンの愛称で親しまれた元南海ホークスの故・香川伸行さんと応援に来てくれたこと」と懐かしんだ。