カレーやシチューなど、子どもたちに人気の給食メニューは昔も今も変わらない。学校給食用食材卸の給材(きゅうざい)(新潟市東区)は、学校生活で子どもたちが心待ちにしている給食の安全性やおいしさを半世紀以上にわたって追求してきた。時には厳しい価格競争の波にもまれながらも、無添加や地元産に重点を置く「こだわり食材」で独自路線を開拓。県産米粉を使ったカレーなど、一般消費者向けの商品開発にもいち早く力を注いできた。食を通して、多くの子どもたちの笑顔を紡ぎ続けている。(全4回)

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 給材の前身「新潟給材」は1968年、現社長の宮崎伸洋(のぶひろ)氏(54)の父である前会長の邦夫(くにお)氏(86)が新潟市東区牡丹山地区で創業した。邦夫氏は石川県七塚町(現・かほく市)出身。高卒後に同県の建設現場で10カ月働いた後、親戚の紹介で新潟市の勤め先が決まり、55年に移り住んだ。

創業当時の新潟給材の社屋前。後ろに映るのが学校給食用の食用油。中央に映るのは1歳ころの現社長、宮崎伸洋氏=1969年頃、新潟市東区牡丹山

 勤務先は、学校給食に用いる食材の加工などを手掛けていたハトヤ商店(現・ハトヤ食品)。主に下越エリアで事業展開していた同社で、缶詰や冷食、魚の切り身加工などに携わる。

 67年には、新潟市の調理機器販売会社に転職。新たに食品を取り扱う事業を始めようとしていた同社からの打診を受け、決断した。そこでも学校給食用を含む業務用の食品販売などに携わったが、既存業者の壁に阻まれた。

 本業へ再び軌道修正したこの会社で厨房機器の営業を打診された邦夫氏だったが「慣れた道の方がやりやすい」と、68年に退職を決意。以前から独立を検討していたことに加え、この会社の社長の後押しもあって同年8月、妻の厚子氏(78)ら4人で「新潟給材」を設立した。

 前年には長男の伸洋氏が誕生していた。結婚、創業と公私ともに慌ただしく過ぎた1年10カ月を、邦夫氏は「人生で一番濃い時期だった」と懐かしむ。

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 当時、冷凍食品を給食の食材として扱う例がまだ少なかったため冷凍庫もなく、取り扱う食材は油や調味料のほか缶詰、乾物に限られた。食品メーカーから仕入れ、各学校に納品することが業務の中心。現在のような入札制度はまだなく、学校の栄養士に直接食材を持参し、使ってもらえるか否かを仰ぐのが営業の基本だった。

会社データ
創業 1968年
資本金 1000万円
売上高 約6億4000万円(2021年7月期)
事業内容 学校給食の卸売り、食品販売など
従業員数

27人

 新潟給材時代から40年近い付き合いがある元栄養士の五十嵐正子さん(70)=新潟市北区=は、来訪する無数の業者の中で邦夫氏は印象的だったと語る。「質問に何でも丁寧に答えてくれて、私にとって新しい知識をもらえる楽しい時間だった。休憩室の畳に座り『ありがとうございました』とお礼を言うなど、そんなに丁寧にしなくていいのにというくらいだった」

 邦夫氏は前職で築き上げた豊富な人脈や誠実な人柄を武器に販路を広げていく。

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 高度経済成長まっただ中、新潟市内は全校千人を超すマンモス小学校もあった。開業直後から翌月分の食材の注文が入り、「今も足を向けて寝られない場所がある」と邦夫氏は笑う。

 納入先は新潟市内のみならず、村上市や阿賀町など下越エリアを中心に約70校まで拡大。社員4人の会社ながら月の平均売り上げは約800万円にも上り、開業初年度から5年連続で業績は右肩上がりを続ける。

 73年には「車2台を止めるのがやっとだった」という牡丹山地区の拠点を約3キロ離れた逢谷内地区へ移す。旧社屋の3倍になった自宅兼社屋で、新たなスタートを切る。

 順風満帆と思われた新潟給材。だが、75年ごろに風向きはにわかに変わる。会社の歴史の中で最初の大きな危機が訪れる。