北村製作所は、終戦により軍需という大口の需要を失った。車関係の仕事をほそぼそと再開し、タクシーの修理など戦前と同様の作業に従事する中、社長の北村治作(じさく)氏は一大決心をする。それは車体そのものを製造することで、しかも大型車両であるバスへの挑戦だった。

 当時、新潟市内でバスを運行する新潟交通は、燃料となる天然ガスを掘り当て、事業の拡大を図っていた。バス会社に車体を納入できれば痛手を負った社業を…

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