きな粉がたっぷりまぶされたよもぎ餅に、芳醇(ほうじゅん)な黒蜜をかけて味わう-。多い年で年間90万個以上を売り上げる銘菓「出陣餅」を販売しているのが、かなざわ総本舗(上越市)だ。創業126年。良質な原料にこだわった菓子作りを続け、50年近くローカルテレビCMを放送するなど、上越市民のみならず広く県民に親しまれてきた。新型コロナウイルス禍による贈答需要の減少という逆風にさらされながらも、高田地域に根付いた菓子文化を次世代へ継承していこうとまい進する。

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 かつて城下町・高田と北国街道を結ぶ玄関口だった上越市稲田。関川に架かる稲田橋の先に見える白壁土蔵造りの建物が、かなざわ総本舗だ。

 昔ながらの民家を想起させる建物は、「2間(けん)(約3・6メートル)間口(まぐち)」だった初代店鋪を移転・新築した2代目の本店。約200年前の建材が使われているという。

 店頭には、上杉謙信が合戦前に兵に餅を振る舞い、士気を高めた故事に由来する出陣餅のほか、「情けの塩最中」「刀八毘沙門(とばつびしゃもん)」といった謙信にあやかった商品が並ぶ。

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 創業者は金澤長之助(ちょうのすけ)氏。現在の稲田で1875(明治8)年に生まれた。既に両親は高齢だったため、年の離れた長姉が本家の跡取りになった。

今は住居となったかつての「かなざわ総本舗」本店前で思い出を語る金澤洋子さん=上越市稲田3

 長之助氏は親に「お前は分家に出すが、代わりに蔵のある家を買ってやる」と言われ、96(明治29)年に本家と同じ町内に小さな菓子店を構えた。それが起源とされている。

 城下町として栄えた高田地域は、名物の飴が藩御用の品として重宝されるなど、江戸時代から菓子文化が盛んだった。「雁木(がんぎ)の町の入り口の町々に菓子店ができ、明治期には70軒以上が店を構えていたという」。上越市史は往時のにぎわいを伝えている。

会社データ
創業 1896年
会社設立 1977年
資本金 1250万円
売上高

1億2100万円(2021年5月期)

事業内容 和洋菓子の製造販売
従業員数

23人(パート含む)

 祝いの席には、タイやかまぼこを模した菓子がそろえられた。「冠婚葬祭の料理や引き出物が、昔は全部お菓子だった」。そう語るのは長之助氏の孫に当たる取締役の金澤洋子さん(73)だ。「じいちゃん(長之助氏)はきんつばが得意で、1回焼けば1週間は食べていけるもうけが出たそうだ。当時お菓子はぜいたく品だったと思うが、それだけ需要も大きかったのでは」と推し量る。

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 戦後に長之助氏が亡くなると、家業を継いだのが息子の一榮(かずえい)氏だった。高田の同業者の元で修業し、戦中・戦後の食料不足で砂糖などの原料が確保できず休業していた店を再開した。先代から受け継いだ刀の鍔(つば)をかたどったきんつばを主力商品とし、1960年代半ばには支店として南高田店の開店にこぎ着けた。

 一榮氏は、餅を軟らかく保つ技法にも秀でていた。白砂糖より高価だが純度の高いグラニュー糖を用いて餅の水分を程よく保ち、よくつき、練る。それが生かされたのが、わら袋に見立てた皮に餡(あん)と餅を包んだ情けの塩最中だ。

 「もなかに餅が入っているのは当時珍しく、地域で評判を呼んだ」と洋子さん。通常、餡に覆われた餅は時間がたつに連れて水分を奪われ硬くなる。だが「情けの塩最中の餅はなかなか硬くならなかった」と、洋子さんの夫で現会長の金澤輝夫氏(79)は振り返る。

 68年、情けの塩最中は「第17回全国菓子大博覧会」で名誉金賞を受賞した。「いい菓子を作るなぁ。俺も負けてられない」。この年に婿入りした輝夫氏は、一榮氏に刺激を受けた。そして2人の熱意は翌69年、看板商品となる出陣餅を生み出す。