感染者を襲う苦しみは、明日の私に降りかかるかもしれない。昨日の私のつぶやきが、今日の君を傷つけているかもしれない。新潟県内でも新型コロナウイルスの感染拡大がやまない。ウイルスは心もむしばもうとする。でも、ソーシャルディスタンスは互いを思いやる距離であってほしい。憲法記念日(5月3日)に寄せて、3回連載でウイルス禍と「人権」を考える。
最初に襲ってきた恐怖は新型ウイルスではなく、周囲の視線だった。「感染した自分は差別されないか」。陽性とはいえ、発熱とせきが出る程度の軽症。感染症自体は深刻に捉えなかった。
だけど、感染は隠したかった。
新潟県加茂市の会社社長、大湊陽輔さん(59)は昨年12月、東京での商談を終え帰宅後、体調に異変を感じた。PCR検査を受け、26日に陽性が判明。翌日、新潟市内の病院に入院した。
県が公表する感染者情報では、居住地を加茂市とせず「三条保健所管内」とした。「特定されたくなかった。商売もしている」。風評被害に遭うのではないか。恐れがあった。
入院4日目、体調が急変し集中治療室(ICU)に移された。せきと汗が止まらず、呼吸もままならない。人工呼吸器を付けられて、意識を失った。
「息を引き取る可能性があります」。病院に入れない妻潤子さん(60)に医師は携帯電話でそう伝えた。夫の死を覚悟した。
目が覚めたのは年が明けた1月9日。11日間意識不明で、生死の境をさまよった。花畑を歩く夢を覚えている。火葬場で自分が焼かれる夢も見た。生と死は紙一重だった。「基礎体力があり持病がなかったから、助かったのかもしれない」。医師たちの懸命な治療に感謝した。
意識は戻ったが体力は衰え、息苦しさ、倦怠(けんたい)感、味覚障害も続いた。スマートフォンすら持てない。体重は13キロ落ちた。
退院は1月22日。ようやく家に帰れる。ただ、心は重かった。自分は地域にどう見られているのか。「感染者は悪人ではない。正しい理解で接してほしい」。自分だからできることがある、そう思った。
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「舌をかみ切ろうと思った。息苦しくて、もう死んだ方がましだと」
びょうぶなどインテリア商品を手掛ける「大湊文吉商店」(加茂市秋房)を経営する大湊さんは、新型コロナウイルス感染で、死の淵をさまよった。
感染予防には人一倍、気を遣っていた自負がある。マスク、換気、消毒はもちろん、出張先では一人で食事し、外出も控えた。まさかの感染だった。
入院当初、中傷を恐れ住所地の公表をためらった。加茂市ではなく「三条保健所管内」の居住とした。だが、体調が急変する恐怖、九死に一生を得た幸運、医療従事者への感謝…。感染予防の重要性を訴えることが自分の使命だと思えてきた。
「隠さない方が余計な臆測は呼ばない」。入院中、会社のホームページで感染を公表した。取引先にはファクスを送り、自身のフェイスブックでも告知した。
退院して地元に戻ると、一部の人の心ない声が漏れ伝わってきた。「(大湊さんが)近所にいるだけで感染しそう」。地域の開業医に電話すると「感染した方は診察をご遠慮ください」と言われた。自分が思っていた以上に恐れられている。心が苦しくなり、腹も立った。
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「感染者が安心して戻れる地域にしたい」。大湊さんの思いを後押しする取り組みが、加茂中学校で進められている。「シトラスリボンプロジェクト」だ。
愛媛県の有志が始めたこのプロジェクトは、感染者や医療従事者が、それぞれの暮らしに戻るときに「ただいま」「おかえり」と言い合える地域社会を目指すもの。リボンの三つの輪が「地域」「家庭」「職場・学校」を現し、色は愛媛特産のシトラス(かんきつ類)にちなむ。
リボン作りは、加茂中のPTAが生徒会に提案。大湊さんが感染で苦しんだ経験も、提案したきっかけの一つだった。
4月中旬の昼休み。大湊さんが見守る中、生徒が次々とリボンを作り上げていく。これまで約3500個を作り、市などを通じて市民に配られている。生徒会長の3年、西村好美(このみ)さん(14)は「リボンを通じて、温かい地域をつくっていけたら」と願う。
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県内の感染者は高止まり傾向は続き、感染リスクは誰にでも付きまとう。
感染者の多くは入院や療養を経て、地域や職場、学校に戻る。
新型ウイルスと闘った大湊さんは実感を込める。「感染者の精神的な痛みは大きく、支えてくれる家族や友達、地域が本当にありがたかった」。そして続ける。「感染を隠す必要のない社会になってほしい。感染者を『ただいま』と受け入れてくれる、差別のない社会に」