史上初となる日朝首脳会談が行われた2002年9月17日午前。横田めぐみさんの父滋さんは、期待に満ちていた。愛娘がいなくなって25年。めぐみさんの生存情報がもたらされるのではないか。そんな希望が渦巻いていた。

 支援団体「救う会」の事務局長だった荒木和博さん(64)は当時の滋さんの姿を覚えている。「家族会代表として、自分の気持ちを抑えて救出活動をしてきたが、あの時は、めぐみさんにすぐに会えるという気持ちが先立っていたのではないか」

 しかし、滋さんの期待は程なくして打ち砕かれた。家族は外務省飯倉公館に呼ばれ、政府から「めぐみさんは死亡した」と伝えられた。

 非情な宣告に、滋さんはその後の記者会見で「いい結果が出ることを楽しみにしていたが、こんな結果とは…」と目頭を押さえ、むせび泣いた。

 その後、北朝鮮が示した情報には信ぴょう性がないことが判明した。滋さんは「めぐみは生きている」と前を向いた。

 それでも事態はなかなか動かない。拉致問題を長く取材するジャーナリストの石高健次さん(70)が、滋さんと妻早紀江さん(85)と外食していたときのことだ。滋さんが「一体どうなっているんだ」と人目もはばからず泣き出した。全身全霊を懸けて救出活動をしているが、道筋が見えないことにもどかしさを募らせていた。

 長男の拓也さん(52)は、救出活動に取り組む父の姿を見て「姉が帰ってきたときに体調を崩していたら意味がない」と、活動を少し抑えるよう言ったこともあった。だが、滋さんは「わが子を助けるため、自分の体を気にしている場合ではない」と譲らなかった。

 「娘との再会を諦めない」という思いを胸に、滋さんは講演などで全国各地を飛び回った。07年に家族会代表を退いた後も、精力的に救出活動に励んだ。早紀江さんとの全国行脚は1400回以上に及んだ。

 滋さんの信念を曲げない姿勢は1997年、めぐみさんの実名を公表する場面でも表れた。早紀江さんと拓也さん、次男の哲也さん(52)の3人は、めぐみさんに危害が加えられる恐れがあるとして、公表に猛反対した。しかし、滋さんは「世論喚起が大事だ」と公表を決断した。

 哲也さんは晩年、入院生活を送っていた滋さんについて「救出活動の結果が見えない中、諦めてもおかしくないが、そんな言葉は一度もなかった」と明かす。

 滋さんが生涯貫き通した「諦めない思い」は、救出活動が今も続く原動力になっている。息子2人は現在、運動の中心に立つ。父が果たせなかった遺志を引き継ぎ、政府や世論に早期救出を訴えている。

 哲也さんは力を込める。「僕らが動かないといけないし、政府も先頭を切っていかないといけない。母に父と同じ思いをさせないように」

連載[横田滋さん死去1年](下)