横田めぐみさんの父滋さんの2年以上に及ぶ闘病生活を支えたものがある。病室に飾られためぐみさんの写真だ。家族旅行で訪れた佐渡、小学校の運動会で撮影したものなどが並び、めぐみさんの笑顔があふれる。

 滋さんが撮影した佐渡の写真は、滋さん、妻早紀江さん(85)と同じマンションの隣人、森聡美さん(59)が写真立てに入れて贈ったものだ。出棺の際、滋さんの胸に置かれた。

 森さんは「滋さんは入院中、気力で生きていた。その源泉は『めぐみに会いたい』という思いだった」と考える。滋さんとまな娘の再会は果たせなかったが、「滋さんの思いを成就したい」と力を込める。

 父と娘の絆を示す家族写真は、見る人の心を動かしてきた。

 森さんは2005年、滋さんが写真を撮りためていたことを知り、写真展の開催を持ちかけた。「取り戻したい家族の姿がある」と感じたからだ。平穏な日常を突然奪った悲惨な拉致。問題を身近に捉えてもらうきっかけになれば-。

 滋さんは当初「家族写真に関心を持ってもらえるのだろうか」と懐疑的だったという。承諾の返事をもらうまで、1週間かかった。

 だが、滋さんの不安をよそに、愛にあふれた家族写真は多くの人の共感を呼び、本県など全国各地で写真展が開かれるようになった。森さんは「滋さんは自分が撮影した写真がクローズアップされたことをものすごく喜び、驚いていた」と語る。

 写真展を主催したのはマンション住民有志でつくる「あさがおの会」。その名称は、めぐみさんが北朝鮮で一緒に暮らした曽我ひとみさん(62)=佐渡市=と離れて住むことになった日、別れ際にアサガオの押し花を贈ったことに由来する。招待所で厳しく監視されて暮らす中で、めぐみさんは滋さんのことを「優しいお父さんなんだよ」と曽我さんに話していた。

 02年に曽我さんら拉致被害者5人が帰国したが、めぐみさんの姿はなかった。しかし、滋さんは「おめでとうございます。皆さん、喜んでいいんですよ」と気遣い、他者への厚い愛情も見せた。

 そんな滋さんらが政府や世論に訴えたからこそ、帰国できたと曽我さんは思っている。「私の人生を救ってくれた。できることをして恩返しをしたい」と周囲に語っているという。

 だが、曽我さんら以降、被害者は一人も帰国していない。森さんは「家族と楽しい時を過ごしてほしいと思って始めた活動だったが、今は文字通り、一目でいいから早紀江さんにめぐみさんと会ってほしい」と切望する。

 滋さんが撮影しためぐみさんの写真は13歳で止まったままだ。滋さんも新しいカメラを買い、娘を撮影できる日を待ったが、その願いはかなわなかった。

 温和でいつも笑みを絶やさなかった滋さんを表すように、川崎市の自宅に置かれた遺影は、ほほ笑みを浮かべ、まな娘の帰国を待ち続けている。

=おわり=