東京五輪へと導いてくれたのは「水球のお父さん」だった。

 水球日本女子代表の小出未来(みく)=ブルボンウォーターポロクラブ柏崎=が中学3年だった、夏の終わり。4歳から続けた競泳で全国大会出場を逃した小出は、千葉水球クラブ(千葉県)の練習を見学した。「楽しそうだな」。新たな目標を探す中学生の目の輝きを、女子チーム監督の古宮一郎さん(68)は見逃さなかった。

 当時の小出は既に身長169センチ。体格、泳力ともに申し分ないとみた古宮さんは「キャッチボールをしようか」と誘った。投げもキャッチも片手でするのが水球のルールだ。プールサイドを使った2人のキャッチボールが始まった。

 古宮さんは心底驚いた。「普通の女子はまず片手だけでボールを扱えないし、体をひねって肩で投げる動きもできない」。プールサイドの端から端まで、約17メートルを投げる力があることを確認すると、興奮気味に言った。

 「東京オリンピックに出たくないか? 絶対に行けるぞ」

 2人の水球中心の生活が始まった。週末は朝から晩まで練習した。練習後は高校受験に備え、古宮さんが勉強を教えたり夕食を取らせたり。志望校の体育科に進んだ小出に、古宮さんは「日本一のセンター(フローター)になれ」と高い目標を与えた。大きな体と負けん気の強さを併せ持つ小出に、過去に育てた代表選手を上回る可能性を感じた。

 ほかの選手とは別に、ひと夏で1万本のシュート練習を課した。利き手以外でもシュートを打てるように「左手で箸を持て」とも指導した。真面目な小出は「本当にやったなあ」と笑いながら記憶をたどる。大好きなサンマの塩焼きに悪戦苦闘し、結局骨ごと平らげたこともあった。こつこつと努力を続け、高校2年で年代別日本代表に選ばれた。左手シュートは武器となった。

 「むちゃな失敗は大好き。へぼシュートも褒める」という恩師から、小出は水球の楽しさを学んだ。「古宮さんが誰よりも水球が好きだから、水球を好きでいていいんだと思わせてくれる」。悩んだときは恩師に電話し、「お前は大丈夫」と励まされてきた。

 古宮さんは1964年の東京五輪で競泳を観戦し、スポーツの魅力にとりつかれて水球の指導者になった。「五輪代表に選ばれただけでもすごいこと。100パーセントのパフォーマンスを発揮してほしい」。初めて五輪に出場する日本女子代表。小出はそのセンターを務める。

(運動部・石井英明)

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