1995年(上)と、2021年7月(下)の古町通り。時代は移り変わる=新潟市中央区古町通8
1995年(上)と、2021年7月(下)の古町通り。時代は移り変わる=新潟市中央区古町通8

 新潟市中央区の古町地区。にぎわいの中心といわれた商店街が「再生」を求められる場となったのはいつからか。特にここ1年余りはウイルス禍に見舞われ、「夜の街」にも暗い影を落とす。政令市の街づくりについて考えたい。同僚と夜の古町を歩き、息づかいに触れた。(報道部・渡辺一弘)

 今月中旬の平日、午後9時すぎ。生ぬるい風が体にまとわりつく。飲み屋を巡る“同志”と、ほとんどすれ違わない。

 古町通8。小路を一本入ったビルの階段を上ると、7席のカウンターとテーブルが置かれたこぢんまりとした空間が広がった。和服姿のオーナー太田学さん(34)が出迎える。

 バーの名前は「BRIDGES BAR」。店のテーマは人と人を結ぶこと。若い男女がグラスを傾けていた。この店で出会ったという。

 市内で新型コロナウイルスが初確認された昨年2月にオープンした。「やばいと思ったし、休業もした。でもそこが底だった」。今は若者を中心に常連が付く。三条市や新発田市などからも訪れる。

 太田さんは古町で生まれ育った。ただ再生への強い思いがあるわけではない。「自分が生まれたところだから古町を選んだ。ここで、面白いことをやっていきたい。使命感はいらない」。自然体で今と向き合う。

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 次の店に行く道すがら、近くのビルのエントランスをのぞいた。店名看板が並ぶが、明かりがともっていない店も目立つ。廃業したのだろうか。入り口前に枯れた鉢植えが置きっ放しになっている店もあった。

 「(クラブなどが多い)8、9番町にある夜の街関連のビルには看板こそ下ろしていないが、テナントがほとんど出てしまったビルもある」。古町通8でクラブを経営する緒方覚さん(72)は言う。街の変遷を50年以上見つめてきた。

 高度成長期、バブル期と新潟の中心繁華街として栄えた古町。「昔の人出と比べ、今は比べものにならない」。上司が部下を連れて飲み歩く文化が廃れたことを主因とみる。

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 歩いて数分のスナックに向かう。ウイルス禍前は扉の向こうから響いてきた嬌声や歌声が聞こえない。感染の広がりとともに、客がゼロの日が増えた。

 マスク着用や検温など対策を施す。アクリル板はぴかぴかだ。「客に来店をお願いしても『感染が落ち着いたら』と言われる」。その言葉を聞くようになって、もう1年以上になる。

 市内の感染状況だけでなく、東京など首都圏の状況にも影響を受ける。新潟には、店にとって主要な客となる首都圏企業の出先も多い。「東京で宣言が出れば首都圏の会社は、全社一律に外での飲食を禁止する」。4度目の緊急事態宣言が出された状況を憂う。

 出勤は毎日ではなく、生活は厳しい。それでも別の女性スタッフは美容院でのヘアセットを欠かさない。「お客さまを迎える商売だから」。プライドがある。

 東京五輪は行われるが、街の雰囲気は重苦しいままだ。感染禍が収束しても活気がどれだけ戻るか分からない。「古町はどうなってしまうのか」

◆若者の意見や思い出を募集

 新潟日報社では政令市の街づくりを考える企画「呼吸するまち」第1弾として8月に「若者の目線で考える古町」をテーマとした連載を予定しています。報道部の渡辺一弘(35)、渡辺勇哉(27)、小林夕夏(22)が担当します。

 連載に向けて、若手が考える古町地区の将来の在り方や、衰退が指摘されることに対する不安や反論、活性化に向けた取り組みなどを募集します。また古町の思い出なども歓迎です。

 住所、職業、年齢、氏名(紙上匿名可)を明記し、お寄せください。宛先は〒951-8550、新潟市中央区学校町通1番町602の1、新潟市役所市政記者室内・新潟日報社。メールアドレスはn-shisei@niigata-nippo.co.jp