北朝鮮なぜ日本人を拉致

小学6年生のときの横田めぐみさん。母早紀江(さきえ)さんに着せてもらった着物姿で、父滋(しげる)さんが写真に収めた=1977年1月、新潟市
小学6年生のときの横田めぐみさん。母早紀江(さきえ)さんに着せてもらった着物姿で、父滋(しげる)さんが写真に収めた=1977年1月、新潟市

 1977年、正月。雪の新潟市に着物姿で立つ少女は、北朝鮮に拉致された横田めぐみさんだ。自宅玄関で写真が撮られた10カ月後、寄居中学校1年生だった13歳のときに行方不明となった。めぐみさんを含む全国の拉致被害者は、国が認定しているだけで17人。2002年に柏崎市の蓮池薫(はすいけ・かおる)さんら5人が帰国してから一人も戻ってきていない。拉致の可能性を排除できない「特定失踪者」も数多くいる。「もう一度会いたい」という家族の当然の願いは果たされないままだ。家族や友達との日常を奪った拉致はなぜ起き、なぜ解決できずにいるのか-。めぐみさんが拉致された11月15日を前に、改めて考える。

工作員の日本語教育係に

国籍使い国内外で活動も

拉致された子どもやきょうだいらの救出を求めて結成された拉致被害者家族連絡会=1997年3月、東京
拉致された子どもやきょうだいらの救出を求めて結成された拉致被害者家族連絡会=1997年3月、東京

<1970~80年代に集中>

 北朝鮮による日本人拉致事件は1970~80年代に集中している。県内でも横田めぐみさん=失踪当時(13)=が77年に新潟市で拉致されるなど、77、78年に計3件(被害者5人)の拉致事件が起きた。

 北朝鮮はなぜ日本人を拉致したのか。

<韓国の情報収集狙う>

 北朝鮮は当時、韓国も社会主義国家に変えて「南北統一」を図ろうとしていた。このため、情報収集などをする工作員を韓国に送り込もうとしていたが、北朝鮮から韓国人になりすました工作員が入国するのは難しかった。そこで、日本人のふりをして韓国に入る方法が計画された。日本語や日本の習慣を教える教育係として日本人が必要になったことが、拉致の理由の一つとされている。

 大韓航空機爆破事件の実行犯・金賢姫(キム・ヒョンヒ)元工作員は、めぐみさんも同僚の工作員に日本語を教えていたと話している。

 また拉致した日本人の国籍を利用し、国内外で工作活動をする狙いもあったと言われる。

 北朝鮮は長年、拉致問題を否定してきた。だが2002年9月、小泉純一郎首相との初の日朝首脳会談で金正日(キム・ジョンイル)総書記は拉致を認めて謝罪した。

北朝鮮、アメリカや韓国と対話

被害者家族 日朝会談を期待

来日したトランプ・アメリカ大統領と面会した横田早紀江さん(前列右から3人目)ら拉致被害者家族=2017年11月、東京
来日したトランプ・アメリカ大統領と面会した横田早紀江さん(前列右から3人目)ら拉致被害者家族=2017年11月、東京

 拉致問題をめぐり、日本は北朝鮮と交渉を重ねてきた。2002年の初の日朝首脳会談では、柏崎市の拉致被害者蓮池薫(はすいけ・かおる)さんら5人の帰国が実現。04年の第2回日朝首脳会談では、蓮池さんらの子どもたちの帰国につながった。

 ただそれ以降、問題は前進していない。06年に北朝鮮が初の核実験を行うなど、核やミサイルの問題も浮上。複雑化し、前に進まない北朝鮮との交渉に、被害者の家族は何度も失望させられてきた。

 膠着状態が続いてきたが北朝鮮は今年に入り、国際社会と対話する姿勢を見せている。4月には10年半ぶりに南北首脳会談を開き、韓国の文在寅(ムン・ジェイン)大統領と北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)朝鮮労働党委員長が「核のない朝鮮半島」を目指すという目標を確認した。

 6月には初の米朝首脳会談も開かれた。アメリカのトランプ大統領と金委員長は「完全な非核化」で合意。トランプ大統領は、会談で拉致問題も取り上げたとしている。

 北朝鮮は「拉致問題は解決済み」との姿勢を変えていない。拉致被害者家族からは「国際的な動きを踏まえ、日朝首脳会談を開いて被害者を取り戻してほしい」との声も出ている。

「普通の女の子が突然いなくなった」

めぐみさん同級生 帰国願いコンサート

横田めぐみさんの同級生らが開いたコンサート。パネルディスカッションでは明るい笑顔の写真が映し出され、同級生が「この笑顔に会いたい」と願った=10月6日、新潟市中央区の県民会館
横田めぐみさんの同級生らが開いたコンサート。パネルディスカッションでは明るい笑顔の写真が映し出され、同級生が「この笑顔に会いたい」と願った=10月6日、新潟市中央区の県民会館

 拉致被害者横田めぐみさん=失踪当時(13)=の一日も早い帰国に向けて、めぐみさんが通った新潟小学校(新潟市中央区)、寄居中学校(同)の同級生も声を上げ続けている。10月5日の、めぐみさんの誕生日の頃に毎年、新潟市で再会を誓うコンサートを開催。今年も10月6日に開き、「笑顔のめぐみさんに会いたい」と訴えた。

 同級生のコンサートは2010年に始まった。毎年、同級生でバイオリニストの吉田直矢さん(54)が演奏。9回目の今年は、同級生がめぐみさんへの思いを語るパネルディスカッションも初めて行われた。

 パネルディスカッションでは「優しい笑顔が印象的」「いつも歌っていた」などと、めぐみさんの思い出を紹介。同級生の男性は「みなさんの小、中学校にもいたような普通の女の子。その子が突然いなくなった」と拉致事件はひとごとではないと呼び掛けた。めぐみさんの家にも遊びにいったという女性は「普通の楽しい家庭だった。ご両親が元気なうちにこの家庭に戻してあげたい」と話した。

 コンサートの最後には毎回、めぐみさんと中学1年の合唱コンクールで歌った「翼をください」を合唱する。自由な空を舞いたいという歌詞に、めぐみさんが早く自由になるようにとの思いを重ねている。同級生代表の池田正樹さん(54)は「次こそお帰りなさいコンサートにしたい」と力を込めた。

北朝鮮による拉致事件をめぐる動き

1977年 11月 横田めぐみさんが新潟市で拉致される。当時13歳
1978年 7月 蓮池薫さん、祐木子さんが柏崎市で拉致される
  8月 曽我ひとみさん、母ミヨシさんが佐渡市で拉致される
1988年 1月 大韓航空機爆破事件に関わった北朝鮮の金賢姫工作員が李恩恵(田口八重子さん)の存在に言及
  3月 国会で梶山静六国家公安委員長が一連のアベック失踪について「北朝鮮による拉致の疑いが濃厚」と答弁
1997年 3月 拉致被害者家族連絡会が発足。横田滋さんが代表になる
2002年 9月 第1回日朝首脳会談。北朝鮮の金正日総書記が拉致を認めて謝罪。「5人生存、8人死亡」と発表。めぐみさんの娘キム・ウンギョンさんの存在を明かす
  10月 蓮池薫さんら拉致被害者5人が帰国
2003年 1月 特定失踪者問題調査会が発足
2004年 5月 第2回日朝首脳会談。蓮池薫さんらの家族5人が帰国
  7月 曽我ひとみさんがジャカルタで家族と再会、共に帰国
  12月 北朝鮮がめぐみさんの「遺骨」として提出した骨がDNA鑑定で別人のものと判明
2006年 10月 北朝鮮が初の核実験
2008年 8月 日朝実務者協議。拉致被害者の再調査結果を秋までに出すことで合意
  9月 北朝鮮が再調査の見送りを通告
2011年 12月 金正日総書記が死去。その後、三男の金正恩氏が体制を継承
2012年 8月 北京で日朝政府間協議
2014年 3月 横田夫妻がウンギョンさんとモンゴルで面会
  5月 ストックホルムで日朝政府間協議
    安倍晋三首相が拉致被害者の再調査で北朝鮮側と合意したと発表
  7月 北朝鮮が再調査のための特別委員会を設置
2015年 7月 北朝鮮が日本に調査報告延期を伝達
2016年 1月 北朝鮮が初の水爆実験に成功したと発表
  2月 北朝鮮の特別調査委員会が再調査の中止と調査委解体を発表
2017年 5月 特定失踪者の家族有志が特定失踪者家族会を結成
2018年 4月 南北首脳会談
  6月 史上初の米朝首脳会談。トランプ米大統領は日本人拉致問題を会談で取り上げたと記者会見で説明
2019年 2月 第2回米朝首脳会談。非核化で合意できず。トランプ米大統領は拉致問題を会談で取り上げたと安倍晋三首相に説明
2020年 6月 横田めぐみさんの父で拉致被害家族会初代代表の横田滋さんが死去。87歳
2021年 12月 田口八重子さんの兄、飯塚繁雄さんが拉致被害者家族会代表を退任。横田めぐみさんの弟、横田拓也さんが新代表に就任

家族会2代目代表の飯塚繁雄さんが死去。83歳
2022年 7月 拉致問題解決に力を注いだ安倍晋三元首相が銃撃され死亡。67歳

2018年11月11日 ふむふむJ(2022年8月更新)

特集トップ