新潟市で下校途中だった中学1年生の横田めぐみさん=失踪当時(13)=が北朝鮮に拉致されて11月15日で41年となる。父滋さん(86)は今春から入院しており、拉致被害者の「親世代」の高齢化は著しい。長年の支援者もまた、年齢を重ねている。2002年に「死亡」と北朝鮮に発表されためぐみさん。ただ、その真相はなお分からないことが多い。史上初の米朝首脳会談が行われるなど朝鮮半島情勢が激変しつつあるといわれる中、めぐみさんの母早紀江さん(82)が、新潟日報社に寄せてくれた「めぐみちゃんへのメッセージ」からは、家族への愛情が強くにじむとともに、日本政府に対する「今度こそしっかりやってほしい」という願いが感じられる。
めぐみちゃん。本当にごめんなさい。41年間も助けてあげられていないままで。このお手紙はお母さんが一人で口述しています。だけどお父さんと二人で書いたものと思ってください。
お父さんは4月4日から入院しています。パーキンソン症候群です。入院前から高齢のため食べ物を飲み込む力が弱くなっていました。当初は点滴で栄養を補っていましたが、次第に難しくなり、胃に直接栄養を送る「胃瘻(ろう)」に切り替えました。口で食べられなくなるのはとてもかわいそうでしたが、長生きしてもらうにはやむを得ないという処置なのです。
お父さんは言葉が少し不自由になり、手足も十分には動かなくなっています。でも頭はしっかりしていて、会話の内容も大体理解できますし、リハビリにも励んでいます。安心してね。
お父さんも人間だから時々リハビリがおっくうになるようで「イヤイヤ」のしぐさをします。そんな時、お母さんは「めぐみちゃんや多くの拉致された人たちが戻って来る日のためにも、もう一度元気にならなくちゃ」と励まします。すると「うんっ。頑張る」と答えてくれます。めぐみちゃんが、リハビリの原動力になっているのですよ。
病室にはめぐみちゃんの写真を3葉飾っています。小学校の運動会の時のもの、佐渡に家族旅行した時のもの、そして北朝鮮で撮影された大人になったコート姿のものです。
お母さんも80歳を超えてしまい、体がくたくたで、倒れてしまうんじゃないかとびくっとする時もあります。でも毎日、お父さんと一緒に写真を見ながら「きょうも一日、精いっぱい生きよう」と思っています。
歳月が流れ
41年前の11月15日。めぐみちゃんが、煙のように消えてしまいました。明るく、優しい子に育ってくれていたし、お父さんもお母さんもまじめに生きてきたつもりです。それなのに「なぜこんな目に遭うの」と、泣き暮らしていました。
1997年に北朝鮮にいると分かった時は「こんなところにいてくれたのー」と背中がぞくぞくしました。新潟をはじめとする全国の方々が、救出に向けた声を出してくれました。
ところが当初は多くの人々に「拉致疑惑」と扱われて、時間が過ぎました。2002年に北朝鮮が拉致を認めて「拉致事件」になると世論は一変しました。でも、その後もさらに16年以上の歳月が流れています。
大きな声で学校での出来事を教えてくれたり、自由に走ったりしていためぐみちゃん。あの国でどんな思いでいたのかと想像すると胸が張り裂けそうです。
一方、目に見えない大きな力、神様の力が働いているような気もします。めぐみちゃんの人生は本当に理不尽なことになってしまいました。だけど日本や北朝鮮、世界に横たわる「悪」の存在を知らしめたという意味で、本当に崇高な人生だったとも思っています。
ことし史上初の米朝首脳会談が開かれ、来年にも2回目の米朝首脳会談が開かれるようです。めぐみちゃんら多くの拉致された人々の救出に向けて、北朝鮮の指導者が心を入れ替えてくれて、今度こそ扉が開くものと信じています。そして日本政府が本気になってどう動いてくれるか、お父さんとお母さんは、じっと見詰めていくつもりです。
「ごめんね」
14年にモンゴルで、めぐみちゃんの産んだキム・ウンギョンさんとその赤ちゃんとお会いしました。めぐみちゃんの詳しい消息については、北朝鮮の関係者もいる中、きっとウンギョンさんも言いにくいだろうと思い、尋ねませんでした。
でも、ウンギョンさんのてきぱきとした話し方や、「にぱっ」とした明るい笑顔を見るにつけ、「しっかりとしつけられているなー」と、不思議な感動を覚えました。元気に部屋を動き回る赤ちゃんの姿にも大笑いさせられました。
夢のような数日間の帰り際、こうお伝えしました。「おばあちゃんは、お母さん(めぐみさん)が生きていると信じているのですよ。だから36年間、捜し続けているのです。あなたも赤ちゃんが急にいなくなったら同じことをすると思いますよ。いつかみんなで幸せになれる日が来るものと信じています。おばあちゃんのこれからの人生は希望なんですよ」と。
すると「36年...」とウンギョンさんはびっくりした表情で、ため息をつきながらつぶやいていました。「親が子を思う」-。そんな人として当たり前のことが、めぐみちゃんからウンギョンさん、そしてその子へと脈々と受け継がれている、としみじみ感じました。
お父さんとお母さんは懸命にめぐみちゃんを捜し続けました。拉致のむごさを多くの方々に知ってもらい、世論の力で政治を動かせたらと、全国の講演会に千数百回、足を運びました。
今、二つの気持ちがあります。一つは「家族としてやれることはやり尽くした。あとは政治家のなされることを見守るしかない」という気持ち。もう一つは、やはり「まだ助けてあげることができなくて、ごめんね」という気持ちです。
間もなく41回目の冬が訪れます。新潟も寒いですが、北朝鮮はもっともっと寒いことでしょう。どうかお体には気を付けて。希望だけは持ち続けてくださいね。お父さんとお母さんも、希望を持ち続けています。
2018年11月14日 新潟日報