第2回日朝首脳会談15年 全拉致被害者の帰国願い

 第2回日朝首脳会談を受け、柏崎市の蓮池薫さん(61)らの子ども5人を日本に迎えてから5月22日で15年。子どもたちは日本で自立し、幸せをつかみつつある。佐渡市の曽我ひとみさん(60)は、その後に娘2人と夫は取り戻したものの、母ミヨシさん=失踪当時(46)=との再会は果たせずにいる。15年前の「5・22」での「新情報ゼロ」に落胆した記憶がある横田めぐみさん=同(13)=の家族は今、令和初の日朝首脳会談実現には希望と同時に不安も抱く。帰国した拉致被害者と子どもたちの苦闘を振り返るとともに、北朝鮮になお残されている肉親の救出を待ち続ける人たちの叫びをつづった。

蓮池薫さん
「残された人を早く取り戻さなければ」 子は自立、救出活動を続け

 「娘と息子は、それぞれの道に進んでおり、日本に来て良かったと思っているようだ。そこは本当にありがたいこと。だがこの15年間、拉致問題は何も動いていない。残された多くの拉致被害者を早く取り戻さなければ。それに尽きる」。柏崎市の蓮池薫さんは、この15年間の思いを語る。

第2回日朝首脳会談を受け、約1年半ぶりに娘と息子との再会を果たし、ともに柏崎市の実家に入る蓮池薫さん(右端)、祐木子さん(左端)夫妻=2004年5月23日、柏崎市
第2回日朝首脳会談を受け、約1年半ぶりに娘と息子との再会を果たし、ともに柏崎市の実家に入る蓮池薫さん(右端)、祐木子さん(左端)夫妻=2004年5月23日、柏崎市

 蓮池さんは2002年10月15日、妻の祐木子さん(63)とともに帰国。当初は「一時帰国」の予定だったが、永住を決断した。

 それから約1年半の間、蓮池さん夫妻の気持ちは揺れ動いた。北朝鮮に残してきた長女の重代さん(37)と長男の克也さん(34)を日本で待つとした「決断」が間違っていれば「再び子どもと一緒に暮らせなくなる」からだ。

 「やはり北に戻るべきだったのか。いや、『過去は問わない』とは言っていても、今更戻ったところで、子どもと一緒に暮らさせるほど北は甘くない...」

 不安な日々の中、蓮池さんの表情は次第に暗くなった。苦しい状況に追い打ちを掛けるように、日本国内で心ない言葉を浴びせられたこともあった。

 04年5月22日の第2回日朝首脳会談を受け、やっと子ども2人を取り戻すことができた。15年前にはあどけなさが残っていた2人は現在、たくましく育った。

 重代さんは研究者の道を歩もうとしている。克也さんは金融関係の仕事に就き、海外勤務もこなす。それぞれが自分の意志で将来を切り開いている。

 蓮池さんは、15年間を「子どもを守る日々だった。自分が何を言われようと、子どもが元気で明るく育ってくれさえすれば、それでよしとした」と振り返る。

 福井県小浜市の拉致被害者地村保志さん(63)、富貴恵さん(63)夫妻の子ども3人もまた、頼もしく成長した。長女の恵未さん(37)と次男の清志さん(31)はいずれも結婚し、新しい家庭を築いている。長男の保彦さん(35)は、企業の技術者として活躍中だ。

 蓮池さんは今、全国各地で拉致被害者救出に向け、講演などを重ねる。新潟市で拉致された横田めぐみさんら拉致被害者や特定失踪者、家族の高齢化に強い危機感を抱いているからだ。

 「親世代が60代、70代のうちは、しばらく元気でいるのが前提だったが、今は違う。切羽詰まっている」と強調。「私と妻は15年前に子どもを迎えるまでの約1年半の間、子どものことで頭がいっぱいだった。それを思うと、なお戻っていない被害者を待つ家族の心境は...」

 地村さん夫妻も救出活動に参加しており、昨夏には曽我ひとみさんとともに佐渡市で署名を呼び掛けた。

 帰国した拉致被害者5人が、拉致問題の早期解決を願う日々は続く。

横田めぐみさん弟
「世代をまたいでも、まだ解決できない」 高齢両親の分まで訴える

横田めぐみさん
横田めぐみさん

 新潟市で拉致された横田めぐみさんの家族は今も、2004年5月22日に、複雑な思いを抱えている。

 当時の小泉純一郎首相が、拉致問題解決の「最強カード」と目された日朝首脳会談を再び設定し、平壌へ飛び立った。02年9月に「死亡」とされためぐみさんら安否不明者や特定失踪者の家族は、新情報がもたらされると信じていた。

 その日の夜には、02年10月に帰国した拉致被害者5人の子どものうち5人が、無事日本の地を踏んだ。

 約1年半の間、引き裂かれていた家族が再会できた成果については、横田家などは「喜ばしい。小泉首相をはじめ政府関係者の努力を評価したい」としていた。ただ、新情報がゼロだったことには落胆していた。

 双子の弟の一人、哲也さん(50)は「当時、日本側に全ての被害者を取り戻そうという強い意志はあったのだろうか。今も疑問が残る」と語る。

 即日帰国した小泉首相は、都内のホテルで家族との面会をセットした。そして家族の一人一人が、悔しさを首相にぶつけた。

 ただ、面会がマスコミに冒頭だけではなくフルオープンにされ、テレビで放映された。首相をねぎらう様子はほぼカットされ、首相に怒りをぶつけるシーンが何度も放映されていた。

 その後、家族宅などに「首相へのねぎらいがない」などの中傷のファクスや手紙が届いた。母早紀江さん(83)はショックで、数日間、思うように声が出なくなった。

 中傷は大半が匿名で、似た文面も多かった。家族の支援者らは「何らかの意図を持った人々によるものなのか」とも想像したが、真相は今も不明のままだ。

 「5・22」から15年、父滋さん(86)は入院中で、早紀江さんの体も年々弱くなっている。哲也さんは「父は身を粉にして活動してきた。今はゆっくりと休んでほしい」と願う。

 弟たちは姉の救出に向けて両親の分まで訴える。「世代をまたいでも、まだ解決できない。大きな問題だ」。もう一人の双子の弟、拓也さん(50)は、拉致被害者家族会の事務局長として国内外を駆け回る。「動ける人間ができることをやるだけ。地道な活動だが、多くの人々の心に私たちの叫びは届くはずだ」

 安倍晋三首相は5月19日、東京で開かれた被害者救出を目指す「国民大集会」に出席した。滋さんを看病しながら救出活動を続ける早紀江さんの姿もあった。首相にこう訴えた。「全ての人が無事に祖国に帰って来る日を祈り、待っています」

「国民大集会」で日朝首脳会談実現への意欲を語る安倍晋三首相(左)。拉致被害者や特定失踪者の家族らは硬い表情で聞き入った=5月19日、東京都
「国民大集会」で日朝首脳会談実現への意欲を語る安倍晋三首相(左)。拉致被害者や特定失踪者の家族らは硬い表情で聞き入った=5月19日、東京都

曽我ひとみさん
「母のことを思わない日はない」 署名活動重ね講演にも力

 4月20日、佐渡市の佐渡トキマラソン会場。拉致被害者曽我ひとみさんは、地元住民らによる支援団体「曽我さん母娘を救う会」とともに「被害者の救出へ署名にご協力ください」と声を上げた。2002年発足の同会による署名活動は70回近くになる。

拉致問題の早期解決に向けて署名活動に参加する曽我ひとみさん=4月、佐渡市
拉致問題の早期解決に向けて署名活動に参加する曽我ひとみさん=4月、佐渡市

 曽我さんと一緒に拉致された母ミヨシさんら安否不明者や、特定失踪者は今も帰国を果たせていない。「こんなにも長い間、解決できないのはどうしてだろうか」。曽我さんは訴える。

 02年に24年ぶりに佐渡に戻った曽我さん。父茂さん=05年死去=と再会し、故郷の温かさをかみしめた。ただ、母の姿はなかった。

 04年の第2回日朝首脳会談。蓮池さんらの子どもが日本に到着した際に「おめでとう」と祝意を伝えたが、「涙を抑えられなかった」と曽我さんは振り返る。

 この時、ミヨシさんの消息はまたもたらされなかった。何よりもつらかったのは、長年一緒だった夫のジェンキンスさんと長女美花さん(35)、次女ブリンダさん(33)が平壌を離れなかったことだ。

 というのは、元米兵の夫が当時、脱走罪などで米国に逮捕される恐れがあったからだ。ただ、日本政府などが動き、その約2カ月後の04年7月には夫と娘二人も日本に迎え入れた。

 そんな苦しい時間を経たからこそ、家族4人がそろった佐渡での生活を大切にしてきた曽我さん。当初は、家族が日本になじめるかと心配した。だがジェンキンスさんは島内の観光施設で楽しそうに働いてくれた。17年に亡くなるまで、多くの来館者に親しまれた。

 今、美花さんは保育士の資格を取得し、島内の保育園で園児に囲まれている。ブリンダさんは島を離れて結婚して出産。時々、子どもとともに島を訪れてくれる。今月還暦を迎えた曽我さんは「静かな幸せ」に包まれているようにも映る。

 ただ、曽我さんは「母のことを思わない日はない」と唇をかむ。佐渡市内の高齢者施設で働く中、年老いた利用者と87歳となった母の姿が重なる。「なんとか元気でいて」と心の中で語り掛けるという。署名活動のほか、学校などでの講演にも力を入れる。「一日も早い母や多くの被害者の帰国を」。それだけを願う。

<特定失踪者>

大沢孝司さん兄 政府認定求めデモ参加へ

 北朝鮮による拉致の可能性が指摘される特定失踪者で新潟市西蒲区出身の大沢孝司さん=失踪当時(27)=は今年、失踪から45年となった。

 2006年に鳥取県の松本京子さん=同(29)=が拉致被害者として認定されて以降、新たな認定はない。「国がこんなにも長く、国民を『拉致の可能性がぬぐえない』なんて中途半端な状況で放っておいていいのか」。大沢さんの認定と救出を訴え続ける兄昭一さん(83)は、改めて政府に具体的な取り組みを求める。

 17年に発足した特定失踪者家族会の会長に就き、全国の失踪者家族と情報交換をする機会が増えた。失踪当時の捜査では見落とされてきた、拉致と結び付くかもしれない証言や証拠を各地で目の当たりにしてきた。「認定と未認定の区分けは何なのか」。割り切れない思いは深まるばかりだ。

 5月24日には、特定失踪者の家族らが拉致認定を求め、国会近くをデモ行進する。「もうすぐだから、待っていてくれ」-。昭一さんは、常々心の中で弟に語り掛けてきたこの言葉を、行進しながら念じるつもりだ。  ただ、昭一さんはこぼす。「『いつまで同じ事を言うんだ』と弟にはあきれられているだろうが...」

中村三奈子さん母 現在の娘の顔 想像できず

 長岡市出身の特定失踪者中村三奈子さん=同(18)=の母クニさん(76)も娘を捜し続ける。今年40歳となる三奈子さん。だが、まぶたに浮かぶのは「子どもの三奈子」だ。今年、韓国警察が現在の姿をイメージした画像を作ってくれた。だが、クニさんは実感が湧かないという。

 クニさんも5月24日の行進に参加する。以前は来てくれた親戚や知人の中にも、高齢のため参加が難しくなった人がいる。「一日一日を無駄にできない」と焦る。首脳会談を経て、拉致被害者やその子どもらを日本に取り戻したことを念頭に「首相は今解決するという思いでぶつかって」と望む。

北朝鮮・拉致に関する主な動き

1977年 11月 横田めぐみさんが新潟市で拉致される
78年 7月 地村保志さん、富貴恵さんが福井県小浜市で拉致される
    蓮池薫さん、祐木子さんが柏崎市で拉致される
  8月 曽我ひとみさん、母ミヨシさんが佐渡市で拉致される
91年 1月 日朝国交正常化交渉が始まる
97年 1月 新潟市で「横田めぐみさん拉致究明救出発起人会」(後の救う会)が発足
  3月 拉致被害者家族連絡会が発足
2002年 9月 第1回日朝首脳会談。北朝鮮の金正日総書記が拉致を認めて謝罪。「5人生存、8人死亡」と発表
  10月 蓮池薫さんら拉致被害者5人が帰国。その後、日本政府が永住方針を発表
03年 1月 特定失踪者問題調査会が発足
04年 5月 第2回日朝首脳会談。蓮池薫さんらの家族5人が帰国
  7月 曽我ひとみさんがジャカルタで家族と再会、18日に帰国
06年 10月 北朝鮮が初の核実験
08年 8月 日朝実務者協議。拉致被害者の再調査結果を秋までに出すことで合意
  9月 北朝鮮が再調査の見送りを通告
11年 12月 金正日総書記が死去。その後、三男の金正恩氏が体制を継承
12年 8月 北京で日朝政府間協議
14年 5月 ストックホルムで日朝政府間協議
    安倍晋三首相が拉致被害者の再調査で北朝鮮側と合意したと発表
  7月 北朝鮮が再調査のための特別委員会を設置
16年 1月 北朝鮮が初の水爆実験に成功したと発表
  2月 北朝鮮の特別調査委員会が再調査の中止と調査委解体を発表
17年 5月 特定失踪者の家族有志が特定失踪者家族会を結成
18年 4月 10年半ぶりの南北首脳会談。文在寅韓国大統領と金正恩朝鮮労働党委員長が完全な非核化の意思を確認
  6月 史上初の米朝首脳会談。完全な非核化で合意
19年 2月 2回目の米朝首脳会談。非核化で合意できず事実上決裂
  5月 安倍首相が無条件で日朝会談開催の意向表明。拉致問題の進展を前提としてきた従来方針を転換

2019年5月22日 新潟日報

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