解決への願い つなぎ続け 北朝鮮拉致問題 改めて考える

 政府が認定する拉致被害者は17人だが、2002年に蓮池薫さん(63)ら5人が帰国して以降、1人も戻っていない。さらに拉致された可能性を排除できない特定失踪者も数多くいる。こうした中、待ちわびる拉致被害者家族の高齢化が進んでいる。家族の「親世代」で存命なのは、横田めぐみさんの母早紀江さん(84)を含めて2人だけとなった。そもそも、なぜ北朝鮮は日本人を拉致したのか。少女のめぐみさんがどうして拉致されたのか-。「なぜ」を考え、早期救出につなげたい。

めぐみさんが入学式を風疹で欠席したため、始業式前に父滋さんが入学記念として撮影した=1977年4月、新潟市の寄居中学校

なぜ日本人が狙われた 工作員教育のためか

 北朝鮮による日本人拉致事件は1970~80年代に集中している。日本政府が認定する拉致被害者は17人。県内では77年に新潟市で横田めぐみさん、78年に柏崎市の蓮池薫さんと奥土(当時)祐木子さん(64)、佐渡市の曽我ひとみさん(61)と母ミヨシさん=失踪当時(46)=がそれぞれ拉致された。

 北朝鮮はどんな目的で日本人を拉致したのか-。

 北朝鮮は当時、韓国を社会主義国家に変えた上での朝鮮半島統一を目指していた。韓国での情報収集や破壊行為のため工作員を送り込もうとしたが、韓国人になりすました潜入は「ぼろが出やすい」(専門家)ため、避けられたという。

 そこで北朝鮮は、日本人のふりをした工作員を韓国に入国させる方が容易と考え、日本語や日本の習慣を教える教育係とすることも、日本人拉致の理由の一つといわれる。

 この一環で、めぐみさんが、工作員や工作員候補に日本語を教えさせられていたとの情報もある。ただ、その真偽は不明だ。

 また、拉致した日本人の国籍を利用し、国内外でスパイ活動を行う目的もあったとされている。

 北朝鮮やその支援組織は長年、拉致の事実を「でっち上げだ」などと否定してきた。だが、一変したのは2002年9月。当時の小泉純一郎首相との日朝首脳会談で、北朝鮮は初めて拉致を認め、謝罪した。

 核実験やミサイル発射を繰り返す北朝鮮に対し、国際社会から厳しい目が向けられている。さらに拉致問題も国連で取り上げられるなど世界でも知られるようにはなっている。だが、「知ってもらう」ことと「解決に向けて動く」ことは、次元が違う。

 トランプ米大統領は、18年に開催された北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長との初の米朝首脳会談で拉致問題に触れたとされる。その後、安倍晋三前首相は無条件で金委員長との会談を目指す方針を掲げた。「安倍路線」を継承する菅義偉首相も「あらゆるチャンスを逃すことなく活路を開いていきたい」としている。

「『北朝鮮による拉致』被害者家族連絡会」を結成して会見する家族たち。横田めぐみさんら被害者の写真を掲げた=1997年3月25日、東京
北朝鮮から帰国し、タラップを降りる拉致被害者。中央が蓮池薫さんと妻祐木子さん。後ろが曽我ひとみさん=2002年10月15日、東京・羽田空港

帰国待つ家族が高齢化 「親世代」2人だけに

 北朝鮮による拉致被害者の帰国を待つ家族たちの高齢化が著しい。今年は、2月に有本恵子さん=失踪当時(23)=の母嘉代子さんが94歳で、6月には横田めぐみさんの父滋さんが87歳でそれぞれ他界した。

 未帰国の政府認定拉致被害者家族の「親世代」で存命なのは、めぐみさんの母早紀江さん=川崎市=と、恵子さんの父明弘さん(92)=神戸市=の2人だけとなった。

横田滋さんの死去を受け、記者会見するめぐみさんの母早紀江さん(中央)と弟の拓也さん(左)、哲也さん。滋さんへの感謝と、めぐみさんら拉致被害者の救出に向けた決意を改めて語った=6月9日、東京都千代田区

 明弘さんは、滋さんの死去を受けたインタビューで「滋さんも、うちの家内も、力尽きて天に召されてもうた。2人とも若死にではないが間に合わなかった。長年、拉致問題が放置されてきたツケではないか」と無念さをにじませた。

 2002年に蓮池薫さん、祐木子さん夫妻や曽我ひとみさんら拉致被害者5人が帰国。04年には、その家族も日本に呼び寄せることができた。だがその後、北朝鮮の核やミサイルの問題が大きくなり、日朝間に加えて米朝間の関係が複雑化し、拉致問題は膠着(こうちゃく)状態が続く。

 その間、何度も首相や拉致問題担当相が交代し、就任するたびに「一刻も早く解決する」といった言葉を口にしてきた。だが、今なお1人も救出できないままでいる政治に対し、被害者家族からは「『今度こそ』と期待しては、裏切られてばかり。いつまでこの繰り返しが続くのか」と悲痛な本音が聞こえてくる。

 拉致された時に13歳の少女だっためぐみさんも今月5日に56歳となった。長い歳月に、家族は焦りを募らせる。滋さん死去を受けた6月の会見で、めぐみさんの弟哲也さん(52)は「これ以上同じことが起こらぬうちに、国会、政権には、具体的な成果を出していただきたい」と訴えた。

 同席した早紀江さんも、拉致被害者や特定失踪者救出への誓いを新たにした。「必ず取り戻す。(めぐみさんに限らず)他の方々もみんな一緒に、苦しい時間を過ごした人生を取り返す。体もだんだん弱ってきているので、どこまで頑張れるか分からない。だが、最後まで力のある限り、頑張っていきたい」

めぐみさん事件の現場 偶発的か計画的か今も謎

 1977年11月15日。新潟市立寄居中1年のめぐみさんは、バドミントン部の練習を終えた午後6時半すぎ、友人2人と一緒に校門=図P1=を出て、自宅へ向かった。友人A子さんとはすぐに別れ=図(1)=、海岸方向へ約200メートル歩いた交差点=図P2=でもう一人の友人B子さんと別れた後、消息が分からなくなった。

 めぐみさんはそのまま交差点を直進したとみられる。警察犬による捜査では、通りから自宅方向へ左折する丁字路=図P3=よりもやや手前で足取りが途絶えた。

 ここからわずか約200メートルの地点=図P4=にめぐみさんの自宅はあった。

 佐渡市の拉致被害者曽我ひとみさんが、北朝鮮でめぐみさん本人から聞いたという証言がある。「曲がり角で男に捕まり、空き地に連れ込まれて拉致された」。

 しかし、どの「曲がり角」、どの「空き地」だったのかは今も分からないままだ。

 亡命した元北朝鮮工作員がかつて、拉致の「実行犯」で自身の教官でもあった人物の話を紹介した。「部下と共に上陸したが目撃され、やむを得ず拉致した」。これが、遭遇による「偶発的拉致」説の原点だ。

 事件当日は現場周辺でさまざまな不審なことがあった。早紀江さんの親友真保節子さんは昼前、ある路地に白い車が停車しているのを見かけた=図A=。通り過ぎようとしたら窓だけが開き、手で「おいで、おいで」をされた。この車と同一かは不明だが、寄居中付近でも白い車が目撃されている=図B=。また、女子高生がごつい顔の男2人組に後をつけられた=図C=。

 複数の専門家らと共に改めて当時を考えると、北朝鮮が何らかのターゲットを狙った「計画的拉致」だった可能性も浮かぶ。ただ、仮にターゲットがあったとしても、それが「若い女性」だったのか、めぐみさんという「特定人物」だったのか-。なお謎に包まれている。

特定失踪者 本県関係は6人

 

 日本政府が認定する拉致被害者は横田めぐみさんをはじめ17人いる。2002年9月の日朝首脳会談を経て、同年10月に柏崎市の蓮池薫さん、祐木子さん夫妻や佐渡市の曽我ひとみさんら5人の被害者が帰国した。一方、めぐみさんや曽我ミヨシさんら12人は安否不明者で、1人も帰国していない。北朝鮮は02年以来、この12人について「8人死亡、4人未入国」との主張を崩していない。

 だが、「死亡」とされためぐみさんの「遺骨」から別人のDNAが検出されるなど、北朝鮮側が出してきた情報には疑問点が多い。

 日本政府が拉致被害者と認定の17人以外にも、拉致の可能性が排除できない行方不明者がいる。「特定失踪者」と呼ばれている。

 02年以前、日本側が拉致被害者と認識していなかったひとみさんの帰国を受け、民間団体「特定失踪者問題調査会」が発足。調査会は、失踪者は少なくとも全国で400人はいるとみる。

中村三奈子さん
大沢孝司さん

 本県関係では、新潟市西蒲区出身の大沢孝司さん=1974年失踪時(27)=、長岡市の中村三奈子さん=98年失踪時(18)=、糸魚川市の藤田進さん=65年失踪時(17)=、上越市の後藤久二さん=77年失踪時(63)=、東京で行方が分からなくなった宮沢康男さん=60年失踪時(17)=と星野正弘さん=79年失踪時(23)=の6人。

 2017年に特定失踪者の家族らが家族会を立ち上げ、失踪者問題の国内外への発信などを通じ、解決につなげようと努めている。

新潟日報 2020年10月28日

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