本郷和人氏(東京大史料編纂所教授)

1月18日 謙信の財政支えた直江津

 新潟日報政経懇話会上越会の1月例会が18日、上越市のデュオ・セレッソで開かれ、東京大史料編纂(へんさん)所教授の本郷和人氏が上杉謙信をテーマに講演した。越後は衣類の原料となる青苧(あおそ)を栽培し、謙信は直江津の港を拠点に交易で富を築いたとし「金の卵を産む鶏が直江津だった」と述べた。

 要旨は次の通り。

 一、謙信が亡くなった時、上杉の蔵は金銀財宝であふれていた。石高は多くなかったが、交易で利益を上げていた。中でも一大消費地の京都には営業部長のような形で家来を常駐させ、貴族や武家に売り込んだという。武田信玄が謙信と戦ったのは領地に海がなかったため、直江津が欲しかったからではないか。謙信は日本を代表する港がある直江津を渡すわけにはいかなかった。
 一、謙信は上杉家を継ぎ関東管領になったことで、関東で勢力を広げていた北条と戦うことになった。有力な戦国大名の武田、北条を敵に回し、二正面作戦になるのは作戦的には間違いだろう。毎年のように関東に出兵し、急いで国元に戻って武田の侵攻を防いだ。武田、北条と戦い、一歩も引かなかった謙信の軍事的才能は桁違いだ。
 一、謙信は関東の武士を統率する関東管領の役目を果たそうとした。しかし、下剋上の時代に関東管領は重んじられなかった。関東の武士が謙信に頭を下げたのは戦の達人と戦いたくなかったから。謙信が越後に戻れば、北条と戦いたくないから北条につくという繰り返しだった。謙信は室町幕府の秩序を守ろうとしたが、あまり意味がないことに気付いていたと思う。

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