[未来のチカラ in 魚沼]
十日町市で10年余りにわたり、映画(シネマ)の灯をともし続けた映画館「十日町シネマパラダイス」が昨年3月、閉館した。その1カ月後、73歳で亡くなった館長の岡元真弓さんが、「町ににぎわいを取り戻したい」と、情熱を注いだ映画館だった。家族も真弓さんを見守り、支え続けた。息子で映画監督の雄作さん(39)=東京都=は母を追悼し、新作「Last Lover(ラストラバー)」を制作。映画を愛した家族の物語をつづる。
十日町市に10年余にわたりシネマの灯をともした映画館「十日町シネマパラダイス」=2018年1月、十日町市本町6
「映画館をつくりたい」。2005年の春、着物のアフターケアなどを行う「きものブレイン」の副社長、岡元真弓さん=当時(60)=は、夫で社長の松男さん(70)に胸の内を明かした。
十日町市では、前年10月の中越地震で唯一の映画館が閉鎖した。「映画に育てられた」と語るほどの真弓さんにとって「心にぽっかりと穴があいた気分」だった。
岡元真弓さん
長女で、同社の専務、松田章奈さん(44)は、真弓さんが当時「社会に貢献したい」と話していたのを覚えている。
だが、松男さんは大反対した。同社も地震で機械が倒れたり、工業用水が出なくなったり大きな被害を受けた。事業を早急に立て直さなければならない時だった。
同社は1976年の創業。現在でも社員の平均年齢は39歳と若く、障害者も積極的に採用している。雇用を守ることが最優先の課題で、映画館経営など考えられなかった。「映画館をやるなら、離婚してやってくれ」とまで迫った。
転機は2005年の暮れに訪れた。真弓さんが内臓の病気になり、神奈川県の病院まで行って手術を受けることになった。「もし生き続けることができたら、頼みを聞いてほしい」。30年間、二人三脚で働いてきた真弓さんの言葉に、松男さんもとうとう折れた。
真弓さんは大の映画好きとはいえ、映画館の経営は全くの素人。東京でフリーターをしていた長男、豪平さん(41)が06年に5カ月間、東京の映画館で上映する映画の選び方や映写方法を学んだ。
映画館は空き店舗を改修し、130席足らずだった。だが、1億3千万円の私財を投じ、座席はフランスの専門業者の製品、スピーカーは最高の機材を据え付けた。周囲から「過剰投資」と忠告されたが、「最高の体験をしてほしいから、劇場だけは手を抜けない」との考えを押し通した。
映画館は、1989年に公開されたイタリア・フランス合作映画「ニュー・シネマ・パラダイス」にちなみ、「十日町シネマパラダイス」と名付けた。
映画の舞台の小さな村は「パラダイス座」という映画館が唯一の娯楽の場。村人たちは面白い場面では腹を抱えて笑い、怖い場面では両手で目を覆った。この作品を、真弓さんは「映画の原点」と呼んでいた。
映画館は07年12月にオープン。館長に就任した真弓さんは壇上で「映画は人々の心の支えになる娯楽だと思う。映画館で見る映画の素晴らしさを体感してほしい」とあいさつした。
幅広い世代に楽しんでもらおうと、アニメ「アンパンマン」とミュージカル「ウエスト・サイド物語」、そして「ニュー・シネマ・パラダイス」を上映した。
「観客から『ありがとう』と声を掛けられるたび、『うれしくてしょうがない』といって、一日中涙ぐんでいました」。副館長になった豪平さんはこの日の真弓さんの様子を振り返った。