[未来のチカラ in 長岡・見附・小千谷]
かつて二十村郷と呼ばれた山あい、長岡市山古志地域と小千谷市東山地区には1トンを超える巨大な牛が角をぶつけ合う「牛の角突き」が伝わる。千年の歴史があるとされ、江戸時代の作家、滝沢馬琴の小説「南総里見八犬伝」には山古志虫亀の様子が書かれている。
2004年の中越地震までは山古志の牛と、小千谷の牛が闘う交流試合が行われた。月に1回ほど互いの闘牛場に出向く出張形式。牛の角突きは勝敗を付けず引き分けで終えるのが習わしだが、ライバルとの取組を少しでも優位にしようと、住民が駆け付け応援に熱を入れたという。
交流試合は、地震によって牛舎が倒壊して牛の頭数が減り、体に負担をかけてはいけないと次第に行われなくなった。山古志と小千谷の牛が闘う機会は少ないが、両者はそれぞれの形で成長を続けている。
長岡市山古志南平の山古志闘牛場。牛が大きな鳴き声を上げ、角が激しくぶつかる「ゴツッ」という鈍い音が響く。観客席から「おおっ」と声が漏れ、拍手が送られる。闘牛と観客の一体感が山古志の特徴だ。
山古志闘牛会会長の松井富栄さん(38)は「闘牛場に来るお客さんの目線で、角突きを考えている。どうやったら楽しんでもらえるかを大切にしている」と話す。
山古志では約50頭の闘牛を、松井さんが共同牛舎で管理、飼育している。元々群れをなす習性があるので、一体感や安心感、競争意識が高まるという。
共同牛舎で育てられる牛たち。実力が近い相手と闘いを重ね、成長していく=長岡市山古志南平
松井さんは牛たちの力をバランスよく高めることを意識する。6歳といった若い年齢から力を出す牛や、9、10歳で伸びる牛など、成長の仕方はさまざまだ。共同牛舎で一緒に育てるため、力の伸び盛りを見極めやすいという。
勝負は引き分けでも力の差が大きいと、その後の成長に影響する。力が
新しい試みにも挑戦している。鼻の綱を抜いて闘う習わしだが、実力差を付けずに若い牛を育てるために、綱を付けたままでの取組を6、7年前に始めた。
18年には「女人禁制」も解いた。以前は場内を塩や酒で清めた後は、女性は入れないとされたが、牛を場内で引き回したいという女性オーナーの要望を受け入れた。牛のかわいらしさや、頑張る姿を見たいという女性ファンも最近増えているという。
東京都昭島市の会社員、福島清さん(34)は学生時代に小千谷を訪れ、闘牛ファンになった。「地域の人たちが一生懸命に牛を応援し、温かい印象だった。地元愛を感じた」と思い起こす。今月20日には初めて山古志で観戦した。「良い取組だと自然に拍手が湧き上がるのがすてきだ。観客と闘牛場の一体感がある」と話した。
小千谷市小栗山の小千谷闘牛場では、背中に「角突」の文字が入った法被姿の男たち
取組が終わり、牛の鼻につかみ掛かる勢子。洗練された技が求められる=小千谷市小栗山
多くの勢子は自分で牛を持ち、育てる。勢子と牛の「絆」が小千谷を沸かす。
「牛には飼う人の個性が出る。角突きの習俗も、若手が大切に守っている」。小千谷闘牛振興協議会会長の間野泉一さん(68)は住民の生活と、牛の角突きの密接さを特徴に挙げる。
東山地区では現在、約50頭の闘牛を、20人ほどの牛飼いが世話している。それぞれが自宅に牛舎を持ち、自分の牛を育てる。牛飼いは勢子も務め、活躍を間近で見るため思い入れが強いという。
「手間を掛けるから愛情が生まれてくる。良い成長をしてほしいね」と話すのは実行委員長の平澤忠一郎さん(68)。かつては自身の牛を育て、今も市内外のオーナーから預かった数頭の面倒を見る。世話をする人によって牛の個性も変化するといい、「面倒見のいい人の牛は闘いも粘り強さがあるね」と語る。
場内での勢子の動きには決まりがある。牛の右側に立って
約30人の勢子のうち、二、三十代が半数を占め、特に若手が熱心だという。小千谷闘牛場近くの東山小学校では、児童が闘牛「牛太郎」を飼育する。今の牛太郎は2代目で、初代の世話をした卒業生が数人、牛持ちになった。子どもの頃から牛に接する環境が若手を育てている。
間野さんは「若手が習俗を一生懸命守ろうとしている。昔の人が大事にしてきた角突きを、これからも受け継いでいきたい」と思いを語る。
長岡市山古志虫亀出身の松田淳さん(47)は幼い頃から山古志と小千谷の牛の角突きを見て、現在は両方で勢子を務めている。「小千谷は伝統を大切にし、山古志は新しい角突きをつくろうとしている」と指摘。「どうしたら角突きが100年、200年続けられるか、盛り上げて広く発信できるかを考えて特色を出し合い、
(長岡支社・林康寛)