第3弾 長岡・見附・小千谷

<下> 花火編

歴史100年超 名物に成長/大玉競争で四尺玉誕生

新潟日報 2020/09/26

 「花火のまち」として、全国にその名を誇る長岡市と小千谷市片貝町。生い立ちや目的は異なるが、100年以上の歴史と伝統があり、一時は大玉化競争でしのぎを削った。今年は新型コロナウイルスの影響で中止となったが、二つの名物花火は個性的なプログラムで観客を魅了し続ける。

 「十数キロしか離れていない二つの花火が、長い歴史の中で互いに刺激し合い、技術を継承してきた」。長岡郷土史研究会会長で、自身が開設した「花火の駅・長岡花火ワールド悠」の館長を務める長谷川健一さん(75)は力説する。

低評価ばねに復興の大輪  ■長岡■

 長岡市史によると、長岡花火は1879年、遊郭の関係者が景気づけなどのため、打ち上げたのが始まりとされる。きっかけに片貝の花火が関わる。片貝花火を見物した長岡の芸妓げいぎに対し、片貝の富豪、佐藤氏が「片貝のような花火を打ち上げ、長岡の町をにぎわしてみる考えはないか」と持ち掛け、協力を申し出た。花火大会が開かれると、遊郭で働く女性たちが花火のスポンサーになったという。

 戦時中の中断を経て、終戦2年後の1947年に花火は復活した。

 その後、長岡空襲があった8月1日には毎年、白一色の鎮魂の花火「白菊」が打ち上げられる。白菊は長岡市の花火師、嘉瀬誠次さんが終戦後、旧ソ連の捕虜となり、シベリアで抑留された際に亡くなった戦友を思い、考案した。

 8月2、3日には長岡まつり大花火大会が開かれる。雄大な信濃川を舞台にしたプログラムが特徴だ。中越地震翌年の2005年に始まった復興祈願花火「フェニックス」は、幅約2キロにわたって大輪が開く圧倒的なスケールを誇る。

長岡まつり大花火大会を代表するプログラムになった「フェニックス」=2018年8月3日、長岡市の信濃川河川敷

長岡まつり大花火大会を代表するプログラムになった「フェニックス」=2018年8月3日、長岡市の信濃川河川敷

 発端は03年に長岡市で開かれた全国花火サミット。集まった全国の花火関係者から、長岡花火は単調だと厳しい評価が寄せられた。長岡の関係者は、超ワイドスターマインの実現を目指し、06年の市制100周年に打ち上げを計画。地震発生を受け、復興の願いを不死鳥に重ねて1年前倒しした。

 音楽付きなど華やかさを増した長岡花火は近年、100万人超の観客が訪れるまでに成長した。長谷川さんは「大型花火のオンパレード。ザ・花火という感じで、老若男女が楽しめる」と魅力を語る。

 今夏の大花火大会は中止となったが、8月2、3日に新型ウイルスの早期収束を願う花火も含めて各4発を上げ、慰霊、平和、復興という長岡花火の思いは来年以降につないだ。主催する長岡花火財団は「三つの思いを次世代につなぐことが使命。未来に向け、しっかりと打ち上げていきたい」としている。

共祝いや供養 思い込め奉納  ■小千谷片貝■

 小千谷市片貝町で行われる片貝まつりの花火を一躍有名にしたのが四尺玉だ。直径約1.2メートル、重さ420キロの大玉が上がり、800メートルもの鮮やかな大輪を咲かす。誕生の裏側には花火玉の大きさを巡り、長岡と抜きつ抜かれつの競争があった。

片貝まつりで打ち上げられた四尺玉=2017年9月9日、小千谷市片貝町

片貝まつりで打ち上げられた四尺玉=2017年9月9日、小千谷市片貝町

 1980年に千葉県で打ち上げられた三尺五分玉がきっかけだった。既に三尺玉を成功させていた長岡、片貝が動く。82年に片貝が三尺三寸玉、83年に長岡が6センチ上回る三尺五寸玉を上げ、記録を塗り替えた。

 片貝は一気に四尺玉に挑み、84年は失敗したものの、85年に成功した。国が花火の火薬量を制限したこともあり、競争に終止符が打たれた。

 長岡、片貝の花火を毎年鑑賞している長岡市の男性(56)は「四尺玉のズシンと響く音を体感すると、やみつきになる」と語る。

 片貝まつり実行委員会会長の吉原正幸さん(70)は「四尺玉は片貝の住民が新成人を祝って奉納する花火として定着している。四尺玉に限らず、花火は住民の誇りだ」と話す。

 片貝花火の歴史は江戸時代にさかのぼり、地元の浅原神社と関わりが深い。片貝町煙火協会によると、1858年、神社の社殿改築を祝い花火を奉納して打ち上げたのが原点だという。今も神社の秋季例大祭に合わせて毎年9月9、10日、住民らが成人や還暦の祝い、追善供養などの思いを込めて奉納している。

 吉原さんも両親を亡くした際、それぞれ追善供養の尺玉を奉納した。「法事では実感が湧かなかったが、奉納花火を見た時、気持ちの整理が付いた」と振り返る。

 地形も花火に個性をもたらす。「川の長岡」に対し、「山の片貝」は山林保護のため打ち上げ場所が限られる。長岡のように広げられず、狭い範囲で時間をかけて打ち上げる構成だ。花火の破裂音は近くの山に反響し、迫力を増す。

 片貝町煙火協会の会長を務める安達勇さん(71)は大玉化競争の当時、長岡市職員として長岡花火を担当していた。同じ頃、片貝中を卒業した同級生でつくる「永遠とわ会」が三尺三寸玉のスポンサーになる偶然も重なった。「板挟みとなって苦しかったが、心は長岡、片貝の両方にあった」と懐かしむ。

 二つの花火に関わったからこそ、当時も今も同じ思いを持ち続けている。「互いに特色があり過ぎて比べようがない。それぞれが素晴らしい」

(長岡支社・深沢智徳)

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