第2弾 魚沼

[未来のチカラ in 魚沼]

開高健没後30年 銀山平に残した足跡

<中>
<巨大イワナ> 川に戻す信条を貫く

釣り師殺到、乱獲招き憂慮

新潟日報 2019/10/10

 1970年夏、開高健が銀山平に長期滞在したのは、小説「夏の闇」の構想を練るためだった。だが開高は定宿の主人だった佐藤進さんをたびたび釣りに誘った。狙いは60センチ超級の巨大イワナ。開高はある日、大物を釣り上げた。体長を測ると64センチあった。

 佐藤さんは「それからが一騒動だった」と回想する。開高は「東京から秋元を呼ぼう」と言い出した。ベトナム戦争従軍取材や釣り紀行に同行した朝日新聞社の秋元啓一カメラマン(故人)のことだ。60センチを超えたら秋元さんが撮影に来る約束だったという。

 「魚拓を取れば簡単なんだが、魚が弱って死ぬからね。それで『写真に残そう』という話だった」と佐藤さん。開高は釣った魚を持ち帰らずに放流する「キャッチ・アンド・リリース」を信条にしていた。

 撮影を終えて放流するまで、どうやって生かしておくか? 開高が算段を進めたところで、佐藤さんはイワナを測り直してみた。60センチに2センチほど足りなかった。撮影はご破算となった。

 銀山平のイワナを取り上げた著書「フィッシュ・オン」の日本編で、開高は次のように落胆している。

 「佐藤さん、ひどいじゃないか。銀山のイワナは二十分もしないうちに六センチからちぢんだぜ。どういうこった。眼もあてられないぜや。困るろ」

 このエピソードを佐藤さんに尋ねると「最初から開高さんの測り方が怪しかった」とのこと。

 3カ月の滞在を終え、銀山平を後にした開高。フィッシュ・オン日本編をこう結んだ。

 九月一日に私は山をおりた。
 釣ったイワナは合計三十一匹となった。
 みな逃がしてやった。

銀山平の北ノ又川。文学碑(右)の近くに架かる石抱橋より上流は、禁漁区になっている=8月、魚沼市湯之谷地域

銀山平の北ノ又川。文学碑(右)の近くに架かる石抱橋より上流は、禁漁区になっている=8月、魚沼市湯之谷地域

 開高の著書などで巨大イワナの存在が広く知られると、銀山平には全国から釣り師が殺到した。キャッチ・アンド・リリースの精神とは逆に、イワナは乱獲で激減する。開高とともに事態を憂慮したのが釣友の常見忠さん(2011年、81歳で死去)だ。

 常見さんは日本のルアーフィッシングの草分けとして知られる。群馬県桐生市で薬局を営むが、ルアーの一種「スプーン」作りが本業のようになっていた。開高に銀山平を紹介したのも常見さんだった。1975年、開高と常見さんは、住民らと魚資源の保護団体を立ち上げることになる。

■参考文献 開高健 写真・秋元啓一「フィッシュ・オン」(新潮文庫)

山菜チャーハン

 電気がなく冷蔵庫が使えなかった1970年当時の銀山平。川魚は新鮮で貴重な食材だったが、開高は釣った魚を持ち帰らなかった。代わりに好んだのが山菜だ。定宿「村杉小屋」で賄いを手伝っていた郷土料理研究家の佐藤あさのさん(81)は、山菜を具にしてチャーハンを作った。開高が絶賛したチャーハンは、後に「開高めし」=写真=の名で魚沼市の郷土食となる。普段はウイスキーやワインを愛飲した開高だが、宿では山菜の炒め物をつまみに、30度の焼酎を飲んだという。

山菜チャーハン

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