上越市にある「高田世界館」は、現存する国内最古の映画館とされる。老朽化や後継者の不在により、一時は存続の危機が叫ばれたものの、市民たちでつくるNPO法人「街なか映画館再生委員会」が運営を引き継ぎ、高田日活から高田世界館へと看板を換え、ことしで10年を迎えた。
レトロで雰囲気のある外観や内装の趣は、1911(明治44)年の開館当時のまま。映画が「娯楽の殿堂」と呼ばれた最盛期、人であふれた。やがて、カラーテレビの普及などにより斜陽期を迎え、存在感は失われた。
NPO法人が運営を引き継ぎ10年を迎えた高田世界館。グランドピアノを試験導入し、ライブを行うなど、活性化の取り組みが盛んだ=2019年4月21日、上越市本町6
少女時代、通い詰めていた。そこは白亜の洋館のような映画館。でも、まさか自分が、支配人を務めることになるなんて-。熊谷栄美子さん(81)=上越市=は、上越市本町6にある高田世界館108年の歴史のうち約30年、支配人として建物を守ってきた。
38歳の時だ。世界館の前身「高田日活」支配人だった夫の典之さんが急逝した。代々、経営してきた熊谷家には、嫁いできた栄美子さんしか後を継ぐ人はいなかった。
世界館は実に8度の「衣替え」を経て今に至る。1911年、「高田座」として始まった当時は芝居小屋。5年余りで映画館の「世界館」に転身すると、以降も「高田東宝映画劇場」、洋画専門の「高田セントラルシネマ」など、改称や業態変更を繰り返した。
昭和の半ば、映画最盛期には高田地区だけで六つの映画館がひしめいたとされる。映写技師だった久保田
談笑する高田日活時代の支配人、熊谷栄美子さん(左)と、高田世界館の上野迪音支配人。世界館の入り口には高田日活の文字がうっすらと残る=上越市本町6
栄美子さんが後を継いだのは、カラーテレビの普及が進んだ70年代。映画は斜陽期のただ中で、成人映画館へと業態は変わった。辺りは問屋街で一般の人の流れが乏しかった。「(本町)6丁目は沈んだ街」。そんな陰口も聞こえた。
「でも、そのころがあったから、今があるんじゃないかな」と市内で自主上映会を行う上越映画鑑賞会の増村俊一会長(64)は語る。成人映画に一定の需要はあった。設備投資による近代化を選ぶ余裕もなかった。建設当初の趣を残したまま、建物は街にあり続けることができた。
2001年、地元町内会関係者らが、活気を失う中心市街地の再興へ、建物の歴史的な価値に目を向けた。「景観劇場」と銘打ち、寄席やライブを毎年開いた。成人映画では見られないようなにぎわいだった。意匠を凝らした天井の装飾や、オペラ座を思わせる2階席のある造りが大勢の目に触れた。
「ここは、残さなあかんで」。06年、落語会で訪れた笑福亭鶴瓶さんの何気ない一言は、建物の尊さをさらに印象付かせた。ただ、老朽化も激しかった。栄美子さんは鶴瓶さんとの懇親会の席上、「誰かに譲ってもいいくらいだわ」とつぶやいた。「もらってもいいんですか」。本気にしたのが、08年にNPO法人「街なか映画館再生委員会」を立ち上げる岸田国昭さん(55)だった。
岸田さんらは修繕費にと、建物を描いた絵はがきを販売。映画が「娯楽の王様」だった頃の写真展を開き、建物の価値を伝えた。それに先駆けて、上越映画鑑賞会は高田日活を活動の拠点とした。女性を中心に退会する会員が相次いでも、一般映画を上映した。「ここを知り、仲間になってくれて、コミュニティーが生まれた。保存に向けた大きな力になった」と岸田さんは振り返る。
09年、栄美子さんは建物を再生委に無償で譲渡した。高田世界館が誕生し、支配人は上野
連休中、県外ナンバーの車は連日、世界館へ乗り付ける。そうした光景を見て栄美子さんは「どこの観光地へ来たんだろう」とよく思う。時代は流れた。「今はこの場所が、高田のどこよりも輝いているように見える」