「日本海側初の海水浴場」。柏崎市はホームページで、柏崎の海水浴場の長い歴史をPRする。柏崎市史によると、柏崎での海水浴の発祥は約130年前の1888(明治21)年だ。
当時の陸軍軍医総監・松本順が柏崎の病院に滞在中、海水浴の保健効果を広めた。夏に海水浴をすると、冬に風邪をひかなくなると口コミで広がり、「塩湯治」と称して海水浴をする人が増えたという。
以来、海水浴が観光の柱の一つとなった柏崎市。高度成長期からバブル期にかけてのにぎわいやその後の低迷。長い歩みを経て今、新たな動きが出ている。
「ここを湯治場にしたいんですよ」。同市鯨波2で小竹屋旅館を経営する杤堀(とちぼり)耕一さん(50)は展望を語る。
6月、旅館向かいの敷地にサウナ「宝来洲(ホライズン)」をオープンした。旅館の宿泊と組み合わせて、鯨波を「現代の湯治場」にしたいと考えている。
目指すのは、海のビジネスの通年化だ。
「ここは毎日景色が変わる。夕日が沈み、いるだけで飽きない」と魅力を語る杤堀耕一さん=柏崎市鯨波2
契機は新型コロナウイルスの感染拡大にあった。昨年、鯨波海水浴場で海の家は開設されなかった。杤堀さんは旅館で仕事をしながら鯨波の海岸を毎日見ていた。
1日10~15人しかいない浜辺を見て、「海水浴に人が来なくなることがあるんだ」と衝撃を受けた。実際、昨年の売り上げは例年の4分の1程度だった。
杤堀さんはかねて海水浴頼みの観光に危機感を抱いていた。2019年、地元の観光関係団体による柏崎の海のイメージ調査で、東京や群馬県などの在住者へのインタビューに同席した経験がある。
鯨波や柏崎の認知度の低さに「無力感を抱いた」という。これまでのPRが結果につながっていない事実を突き付けられた。
杤堀さんはシーカヤックやバーベキューも営業してきたが、天候に左右される面があった。通年で収益が見込める事業と狙いを定めたのがサウナだった。
知人が立ち上げたLINEのグループチャットへの参加でヒントを得て、事業化を決めたのは昨秋だ。今は狙いを首都圏の「頭脳労働者」に定め、ツイッターで発信を続ける。
■ ■
6月末、出雲崎町松本の建設業・山六木材の本社で、小林誠社長(61)はブライダル業の関係者と、8月に行う「アウトドアブライダル」の打ち合わせをしていた。
会場となるのは閉校した旧臨海学校の敷地だ。山六木材は3月、群馬県富岡市が売却先を募っていた同町久田の旧臨海学校を購入した。築40年で、井鼻海水浴場まで徒歩5分。小林社長は「丁寧に使われていて、直せば使えるとすぐに分かった」と購入理由を語る。
建物を改修し、テナントを募る。ブライダル以外にキャンプ場、クラフトビール工場、カフェ、リモート用シェアオフィス、外国語会話教室など、通年で営業可能な業種を集める計画だ。来春の本格オープンに向けて準備を進める。
町内の不動産事情にも詳しい小林社長は、町内の中古住宅を購入するのは県内の人が多いことに注目する。旧臨海学校は県民同士の交流拠点にしたいと願う。
「交流というと都会や海外に目が向きがちだが県内の人を大事にしたい。県人同士が旧臨海学校で交流する姿を県外の人が見て、さらに人が集まってほしい」
旧臨海学校を核に、地域再生を進める決意をみなぎらせた。
(おわり)