[未来のチカラ in 長岡・見附・小千谷]
長岡市摂田屋地区は良質な水に恵まれ、日本酒やみそ、しょうゆの蔵元が集まる「醸造のまち」として知られる。市は新たな観光拠点として環境整備を進める。1945年の長岡空襲を免れ、歴史を伝える建物を今も残すまちを中澤卓也さんが歩いた。
吉乃川の歴史や酒造りについて学べる「醸蔵」を見学する中澤卓也さん(右)=長岡市摂田屋4
中澤さんが訪れたのは酒造会社、吉乃川の敷地内に2019年10月にオープンした酒ミュージアム「
歌手にとって命の喉を大事にするため、「全く歌わないスケジュールが続く時にしか、お酒は飲まない」と心掛けているそうだが、飲むときは日本酒をたしなむこともあるという。
醸蔵の建物は、大正期に建てられ、酒の瓶詰め作業に使われていた倉庫「
天井は、鉄骨を三角形に組んだ「トラス工法」が分かるように吹き抜けになっている。施設では吉乃川の歴史や酒造りの工程を学べるほか、日本酒の試飲や購入もできる。「1カ所で完結できますね」と興味を示した。
吉乃川の創業は、戦国時代の1548年にさかのぼる。徳川家康がわずか6歳の時のことだ。オーナーである蔵元の川上家は遠祖が武士で、上杉謙信の後継者を争った「御館の乱」で景虎側に付いて敗れ、酒造業に専念したという。案内に同行した現在の蔵元、川上麻衣さん(27)を前に、中澤さんは「とんでもない方ですね」と、かしこまった。
戊辰戦争では摂田屋地区の光福寺に長岡藩の本陣が置かれた。同社経営戦略課の横本昌之さん(45)が「長岡藩士は戦いの前に、吉乃川の酒を飲んでいたかも」と話すと、中澤さんも「そうかもしれませんね」と、歴史ロマンに思いをはせた。
展示スペースには酒造りの道具も並び、中央では酒を搾る際に使われた「
中澤さんは「当時の建物が残り、現代の人たちに歴史を継承しようと、リノベーションして有効活用していることは、素晴らしい」と感服していた。
摂田屋の町並みを巡ると、レトロな建造物に出合える。その一つ、薬用酒の製造を手掛けた
敷地内にある「
国有形文化財の「
建物の管理・運営に当たるまちづくり会社「ミライ発酵本舗」統括マネージャーの平沢政明さん(62)は、馬の肉を桜肉と呼ぶことに発想があるとの見方を示し、「当時の自由な発想が表れている」と解説。中澤さんも「遊び心がある」とうなずいた。
動植物を色鮮やかに表現した装飾が目を引く機那サフラン酒本舗「鏝絵の蔵」=長岡市摂田屋4
歴史情緒を感じさせるれんが造りの建物が残る長谷川酒造=長岡市摂田屋2
同じ地区の長谷川酒造(摂田屋2)に足を運んだ。風格あるたたずまいが造り酒屋の伝統を残す。主屋は明治期に、れんが造りの建物は大正期に建てられた。「当時の建物が、ずっと残っているのはすごい」と中澤さん。
「地元にいる時は、近すぎて分からなかった良さを改めて知ることができた。地元の人にはより地元を知ってもらい、東京など遠方の人には魅力を発見してもらえたらうれしい」と願った。