第5弾 県央

ものづくりのキセキ
新潟日報 2021/04/21

第3回 「つなぐ」

 「伝統とは革新の連続である」という言葉がある。県央地域のものづくりは、博物館のケースに陳列されている技術ではない。時代や社会が求める変化にしなやかに対応し、続いてきた生きた技術だ。伝統を次世代へつなぐため、さらに日々奮闘する姿がある。

目立ての技 若手を魅了

柄沢ヤスリ(燕) 海外楽器職人も製品求め

 鉄やステンレス、プラスチックなどさまざまな素材を削る工業用ヤスリは、金属加工のものづくりを支えている。鉄の棒材をヤスリという「刃物」に変えるのが、ギザギザの目を起こしていく「目立て」だ。ミシンにヒントを得て作られた目立て機を使って、たがねを打ち込み、細かな目を刻んでいく。

ミシンに似た目立て機が並ぶ柄沢ヤスリの工場内=燕市燕

ミシンに似た目立て機が並ぶ柄沢ヤスリの工場内=燕市燕

 燕市燕で各種ヤスリを製造する柄沢ヤスリには現在、6人の目立て職人がいる。

 燕市は広島県呉市とともにヤスリ産地として知られる。燕市では日清戦争以降、軍需生産が活発化。明治後期には個人を含めた製造業者が400軒ほどあったといわれている。しかし現在、市内で工業用ヤスリを作っているのは同社によると2社だけ。爪ヤスリを入れると計3社という。

 1939(昭和14)年の創業。先代が亡くなった後、取引先からの「やめないでほしい」との声を受け娘の柄沢良子さん(65)が2010年、高校教師を辞めて2代目社長を継いだ。

 研ぎ味を左右する目の深さや角度など、その微妙な加減は「同じ機械を使っていても職人によって違う」と柄沢さんは説明する。

「目立て」が施され、ギザギザが付いたヤスリ。この後、みそを付けて乾燥させ、焼き入れをする=燕市燕

「目立て」が施され、ギザギザが付いたヤスリ。この後、みそを付けて乾燥させ、焼き入れをする=燕市燕

 この1、2年、意欲的な若手が「ものづくりに関わりたい」と相次いで入社した。福井厚志さん(40)と、須佐香さん(41)。取材の日も真剣な表情でそれぞれ、目立て機に向かっていた。

 「製品の一部分ではなく、完成まで見届けられる仕事がしたかった」と福井さん。須佐さんは「種類が多く難しいが、やりがいがある」と話す。間もなく98歳になる目立て職人、岡部キンさんも今なお現役だ。的確な言葉で後進を指導する。

 近年は工業用の特殊ヤスリの加工技術を生かした美容用ヤスリにも力を入れている。ただ、柄沢さんは「ヤスリは黒子、縁の下の力持ち」と表現する。だからこそ数年前、楽器工房の主人から「やっと製造元にたどり着いた」と、弾んだ声で電話があった時は驚いたという。

 「お宅のヤスリが弦楽器作りに最高で、職人が欲しがっている。海外の楽器職人から頼まれ、もう何本日本から運んだことか」といった内容だった。

 問屋などを経由して卸しているため、「燕の小さな町工場から巣立った製品が、海外で美しい楽器を仕上げているとは思ってもみなかった。伝統の灯を消せないと誓った出来事だった」と振り返る。

新しい鍛冶屋像を模索

増田切出工場(三条) 「原点」担い 次世代視野に

 三条市金子新田にある増田切出工場の3代目、増田吉秀さん(44)が家業を継ごうと決心したのは、地場産業の後継者不足を取り上げたテレビニュースに映った父の姿がきっかけだった。「おやじが弱っていて、すごく年を取ったように見えた」

 昭和初期から、木彫りや大工の道具である切り出し小刀を手作業で作り続けている「鍛冶屋」。父で2代目の健さん(73)は伝統工芸士や、にいがた県央マイスターに認定されている職人だ。

 吉秀さんは金型製造会社に勤務し、跡を継ぐことは全く考えていなかった。父も自分の代で終わりにすると口にしていた。

 ただ次第に金型の現場がコンピューター化され、「これって誰でもできることでは」とも感じていた。

 テレビ画面で父は、後継者について「誰でも簡単にできるものではないし」といったようなことを語っていた。

 その言葉に刺激された。「鍛冶屋はものづくりの原点。なくなるのはもったいない。ならば自分がやると、スイッチが一気に入った」と吉秀さんは振り返る。

デザイナーと開発した切り出しで鉛筆を削る増田吉秀さん(左)と健さん(中央)=三条市金子新田

デザイナーと開発した切り出しで鉛筆を削る増田吉秀さん(左)と健さん(中央)=三条市金子新田

 2017年6月、実家で働き始めた。「黙ってやらせてくれと言ったものの、自分ができないことにびっくりだった」。まずは30ほどある全工程を撮影し、一工程ずつ夜中まで、ひたすら手を動かした。行きつ戻りつしながら、納得できる部分を増やしていった。

 新たな製品も誕生させた。切り出し小刀を生活の中でもっと使ってほしい。そんな思いでデザイナーと開発したのが、鉛筆削り用の「MASUWAシリーズ」だ。「ニイガタIDS(イデス)デザインコンペティション2019」で準大賞に選ばれた。

 昨年4月、旧市街地の作業場を残しつつ、郊外に新たな工場を新設した。次世代のものづくりを担う職人を雇える場にしたい、というのも理由の一つだった。昨年秋から、女性の職人も働いている。

 「これからの若い世代に、汚いとか危険でなく、かっこいい、面白いといった新しい鍛冶屋像をつくりたい」と意欲を見せる。工場内に近く、ショップも設ける予定だ。

 そんな吉秀さんに、健さんは「頼もしいですね」と目を細めている。

愛される名物

純喫茶ロンドン 燕駅近く 昭和のまま

 喫茶店は昭和の名曲によくなじむ。「まちぶせ」には、〈夕暮れの街角 のぞいた喫茶店〉、「学生街の喫茶店」には、〈君とよくこの店に 来たものさ〉。歌詞によく登場する。

昭和にタイムスリップしたような純喫茶ロンドン

昭和にタイムスリップしたような純喫茶ロンドン

 燕駅に近い「純喫茶ロンドン」は昭和そのものだ。開店は1967(昭和42)年。内外装とも当時とほとんど変わらない。ショーケースの食品サンプル、テーブルゲーム機...。メニューの一番人気はナポリタンだ。

 「私たちも店も古くなって、人さまに迷惑を掛けないように誠心誠意やってます」。マスターの吉野昌英さん(72)と妻の春江さん(68)は控えめに話す。

 50年来の常連に交じり、最近は若い客が増えているという。取材に訪れた日は、新潟市の大学生金井もえさん(20)と中寺麻祐さん(20)がランチを楽しんでいた。「レトロって感じで落ち着きます」と、スマホで写真を撮りSNSにアップしていた。

 「若い子にとって、こんな年寄りの店のどこがいいんでしょうね」。吉野さんは孫の相手をするように優しくほほ笑んだ。

■純喫茶ロンドン 住所:燕市穀町3-1-1 電話:0256-62-3615

和菓子「玉兎」 種類豊富な弥彦土産

 大昔、弥彦山のウサギたちが里の田畑を荒らし、農民は困り果てた。悩みを聞いた神様がウサギを呼び集め、諭した。

 そのかしこまっている姿をモチーフにした和菓子が、玉兎(たまうさぎ)だ。砂糖やもち粉などのシンプルな材料で作られた粉菓子で、弥彦土産の定番となっている。

大きさもパッケージもさまざまな種類がある弥彦土産の定番、玉兎

大きさもパッケージもさまざまな種類がある弥彦土産の定番、玉兎

 玉兎の商標は、製造元である弥彦村の3軒、燕市の1軒などでつくる弥彦名産玉兎組合で共同管理している。

 組合によると、いずれも創業は100年を超えるような老舗だという。

 弥彦神社の一の鳥居前に店を構える「越後みそ西弥彦笹屋店」には、一口サイズの「四色玉兎」やあんこが入ったこぶし大の「あん入り大兎」、江戸時代後期から作られているという伝統の「伊夜比古玉兎」などさまざまな種類が置かれている。

 店長代理の水野裕美さん(44)は「素材はシンプルだが、それぞれ微妙に食感が違う。お茶はもちろん、コーヒーにも合います」と話した。

■越後みそ西 弥彦笹屋店 住所:西蒲原郡弥彦村弥彦1239 電話:0256-77-8562

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