第5弾 県央

ものづくりのキセキ
新潟日報 2021/05/12

第5回 「おもう」

 故郷を離れ、東京で暮らす県央出身者がいる。生まれ育った土地での原体験を忘れず都会で飛躍する人、競争にもまれた後、ものづくりのまちで一旗揚げようと奮闘する人がいる。分野も立場も違えど、ふるさとへの情熱が冷めることはない。むしろ離れているからこそ強いのかもしれない。新型コロナウイルス禍で往来さえも難しくなった今、東京から県央地域を「おもう」。

ふるさとへの情熱 原点

ラーメン店「ジョニーの味噌」(東京) 佐藤幸樹さん
燕へ2号店 極太麺を追求 完成に3年

 レトロな町並みに、カウンターのみ8席のラーメン店が存在感を放っている。

 東京都内で唯一の路面電車、都電荒川線発着駅の三ノ輪橋駅(荒川区南千住)はす向かいに、地元で愛される「ジョニーの味噌みそ」がある。店主の佐藤幸樹さん(46)は、新潟市江南区出身。太麺にこだわり、味噌ラーメン一本で勝負している。

自慢の極太麺の出来栄えを確かめる「ジョニーの味噌」店主の佐藤幸樹さん=東京都荒川区

自慢の極太麺の出来栄えを確かめる「ジョニーの味噌」店主の佐藤幸樹さん=東京都荒川区

 昼時は行列ができる人気ぶりだ。「この味を新潟でも広めたい」。兄が燕市で営んでいたラーメン店の業種転換に合わせ、2020年4月、同市に2号店をオープンした。職人魂が根付く、ものづくりの町への憧れもあった。ラーメン職人としての気概も揺さぶられた。

 とんこつ、しょうゆ、塩...。さまざまなジャンルのラーメン店がある中で、味噌専門は都内でもあまり見掛けない。「冬に食べるイメージが強く、夏は売り上げが落ち込む。みんなが避けたがる味噌であえて挑もうと思った」

 東京で生き残るには、他にはない「売り」が欠かせない。佐藤さんは麺に着目した。高級品種とされる三重県産「あやひかり」と北海道産「きたほなみ」の2種類の小麦粉をブレンド。店内で手打ちし、中華麺とうどんの中間ほどの極太麺に仕上げている。

 粉の配合、水の量、熟成時間など、組み合わせを変え、何百回も試行錯誤した。完成まで3年を費やした。「スープにこだわる店は多いが、麺あってこそのラーメンだ」と胸を張る。

 味噌も火入れをしない自然熟成にこだわり、県内産をメインに使う。麺をすすってみると、小麦の甘さを感じた後にスープの辛さが加わり、口の中で程よく一体化して後を引く。「極太麺は好みが分かれる」と語るが、客の7割は常連だ。

 佐藤さんは高校を卒業後、憧れだった米国に留学したが、01年の同時多発テロで通っていた語学学校が焼失。泣く泣く帰郷し、兄のラーメン店を手伝った。

 店は東京にも進出したものの、順風とはいかず、兄は新潟へ戻った。佐藤さんは東京に残り、11年に開業。都内での勝負に懸けた。「ジョニー」は留学時代の愛称。店名のインパクトも十分だ。「今では近所の人から『ジョニー』と呼ばれている。本名は知らないんじゃないかな」と笑う。

 東京での生活が長くなるにつれ、新潟への愛着や貢献したいとの思いが強まった。そんな中で燕に進出した2号店。まだまだ軌道に乗っているとは言えない。背脂こってりのラーメンに慣れた地元住民をうならせるのは正直、厳しい。それでも、絶対に負けない。「町のおやじが質の高い包丁や金物を作っている。そんな面白い地域で生き残りたい。自信はある」

■ジョニーの味噌:東京都荒川区南千住1-18-7。燕店は、燕市井土巻2-18。0256-46-8477。

小麦の甘みと味噌の辛さが絶妙にマッチした「ジョニーの味噌」の味噌ラーメン

小麦の甘みと味噌の辛さが絶妙にマッチした「ジョニーの味噌」の味噌ラーメン

感染禍 強まる望郷の念

県のUIターン窓口 若い世代から相談増加

 首都圏にある転職・移住に向けた県の窓口「にいがた暮らし・しごと支援センター」の一つが、表参道(渋谷区)の新潟館ネスパス2階にある。

 本県へのU・Iターンを希望する人に対し、スタッフ5人が対面、電話、オンラインでの相談に対応する。新型コロナウイルスの感染拡大でイベントの開催が難しくなり、オンラインとの併用などを模索している。

 ただ、故郷にUターンしたいという本県出身者からの相談は増えている。Uターン希望者で特に多いのが20代後半から30代後半の比較的若い世代だ。

にいがた暮らし・しごと支援センターの窓口。1階の新潟館ネスパスに買い物に来たついでに家族で相談に訪れる人もいるという=東京都渋谷区

にいがた暮らし・しごと支援センターの窓口。1階の新潟館ネスパスに買い物に来たついでに家族で相談に訪れる人もいるという=東京都渋谷区

 センターのリーダー岡山晶子さん(48)は「頻繁に地元と行き来できる前提で首都圏に出てきた人が多い。感染拡大で往来が難しくなったことで、地元に帰りたいと思うようになったという話をよく聞く」と語る。

 Uターン志望者は実家近くに帰るか、企業の多い新潟市を希望する割合が高いが、岡山さんは「新幹線駅があるなど交通の便が良い県央地域も十分魅力はある」という。県央のものづくりに憧れるIターン希望者もいる。

 岡山さんは「ものづくりをしたいと思いながらも、実際の現場をイメージできていない人もいて『工場の祭典』への参加を勧めたこともある。仕事や生活について具体的な情報発信ができると、探している人が想像しやすい」と強調する。

 「センターは新潟県への入り口」と話す岡山さん。他県の移住希望者の相談に乗った経験もあるというが「新潟県の人はUターンしたい理由を『新潟が好きだから』と答える人が多い。感染拡大で東京の暮らしに制限が多い今、さらに故郷への思いが募っているのではないか。移住・転職という人生の転機をしっかりサポートしていきたい」と語った。

都内で飛躍

パティシエ・捧雄介さん(三条出身)
食の記憶・体験が支えに

 多くの洋菓子店が立ち並ぶ東京都世田谷区で、舌の肥えた住民からも評判の店がある。三条市出身の捧雄介さん(43)が店主の「パティスリー ユウ ササゲ」だ。

「パティスリー ユウ ササゲ」の店主、捧雄介さん。食材に加え、ナイフは三条産を愛用する=東京都世田谷区

「パティスリー ユウ ササゲ」の店主、捧雄介さん。食材に加え、ナイフは三条産を愛用する=東京都世田谷区

 パティシエを目指す原点の一つは、幼い頃に父母がよく買ってくれたシュークリーム。甘いものが好きだったことと、鉄鋼業の職人だった父の影響で手に職をつけることに憧れた。

 加茂暁星高校を卒業後、都内の製菓専門学校へ進学。有名店で修業を積み、2013年に独立した。

 伝統的なフランス菓子の製法を踏まえつつ、四季の果物を使いオリジナリティーを加える。経験を重ねる中で感じるのは、故郷の食の豊かさだ。

 県産ブランドであるイチゴの「越後姫」や西洋ナシの「ル・レクチエ」を使った商品開発をしてきた。「おいしいものを作るには食の記憶が大事。自分が経験したものじゃないと、新しいものは作り出せない」。幼い頃の記憶や体験が今を支える。

 出店の依頼があり、5月26日に新宿の小田急百貨店に2号店を出す。「多くの人に店の味を知ってもらいたい。自分にとって大きなチャレンジ」。商圏も桁違いの場所で、新たな一歩を踏み出す。

■パティスリー ユウ ササゲ
東京都世田谷区南烏山6-28-13
03-5315-9090

美容師・八巻はるかさん(田上出身)
大好きな故郷「安定剤」

 「美容師になりたい」

 子どもの頃からの夢をかなえた田上町出身の八巻はるかさん(32)は、東京・表参道の美容室「ROOMOO(ルームー)」で、トップスタイリストとして活躍している。

美容師の八巻はるかさん。「新しいことに挑戦し続けたい」と前を見据えている=東京都渋谷区

美容師の八巻はるかさん。「新しいことに挑戦し続けたい」と前を見据えている=東京都渋谷区

 高校まで田上で暮らし、卒業後、東京の美容専門学校に進学した。美容師になって12年目。いつも、明るい笑顔で客を出迎える。「お客さんとは長い付き合いをしたい。寄り添った接客を心掛けている」と力を込める。

 東京暮らしが長くなってきたが、地元への愛は深い。田上の話題はネットニュースで小まめに確認している。自身のインスタグラムには、実家に帰省した時の様子なども載せ、田上を"宣伝"している。

 実家からは、祖母手作りのタケノコおこわや笹団子などが季節ごとに届くという。「古里の味を感じることができる。お店のスタッフにも好評です」と話す。

 「定期的に帰ることで気持ちがリセットされる。『安定剤』のような場所だったんだ」。新型コロナウイルスの影響で帰省できない日々が続く中、古里の温かさに気付かされた。「人の流れが穏やかで、時間もゆっくりしている。田上が大好きです」とほほ笑んだ。

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