全国最大の桐たんす生産地・加茂市で祖父が創業した会社を継いだ。「桐の蔵」3代目の桑原隆さん(53)は、桐たんすの世界に入って30年余り。変わりゆく産地で伝統の技をどう継承するか、活路を探し続けている。
20歳の時、田上町に建てられた新工場で桐たんす職人として歩み始めた。当時は百貨店や家具店向けに卸売りがほとんどだったが、生活様式の変化や景気後退などにより、店頭に桐たんすが並ぶことは徐々に減っていった。
「直販の道を考えなければ仕事がなくなると思った」と振り返る。2000年に工場にショールームを開設。着目したのが古いたんすの修理だった。
桐たんすは古くなっても、かんなをかければ再生できる唯一のたんすという。しかし新品を作るのと同程度の手間がかかり、利益は少ない。当時はまだ新品を作れば売れた時代で、周囲に再生を手掛ける同業者はなかった。
たんす修理のチラシを作り、工場がある田上町のほぼ全世帯を自転車で回った。1件注文が入り「うれしかった」と笑う。以後、再生事業をホームページなどで発信し、注目されるようになった。
「桐たんすは何かの節目で買うもの。必ず思い入れがある」と話す。「祖母のお嫁入りのたんすが生まれ変わった」などと、お客さんが喜ぶ瞬間に立ち会ううちに「手を掛ければ思い出とともに長く使える。再生は、桐たんす屋としてやっていかなければならない仕事」と思いを強くした。
新品販売は「100%オーダーメード」になった。着物を趣味にする人や新築の家に欲しいという人がネットなどで探し当て、桑原さんの工場にも全国から年何十組もやって来る。
とはいえ、産地の現状は厳しい。会社の数は30年前の半分程度に減ったという。「今後残っていくのは、できるだけ小さく、個性を生かしたものづくりをする会社だ」と感じている。理事長を務める加茂箪笥(たんす)協同組合には現在19社が所属。大きい社でも職人を含め5、6人規模で、1人で経営する所もある。スマホの音を増幅させるスピーカーや米びつなど、桐の性質を生かした小物を作るメーカーも出てきた。
後継者不足も悩みだが、育成まで手が回らないのが実情だ。昨年初めて桐たんす作りの現場を公開する「工房巡り」を開催した。「思ったより多くの人が来てくれた」と喜ぶ。「たんすを売るにも、後継者も、まずはファンを育てることから」と、前を向いた。
ウイルス禍の中、「お客さんの提案でオンライン展示会もやりました」と話す桑原隆さん=田上町田上
桑原さんは、仕事が終わると毎日、加茂市の自宅近くの加茂川河川敷を走る。「加茂の町の真ん中を流れ、橋も多く、住民は1日1度はどれかの橋を渡るのでは。加茂人にとってなくてはならない川」と話す。
現在は春の風物詩のこいのぼりが上空を泳ぐ。桜やアヤメなど、季節の花も川を彩る。「走っていると、匂いや気配で季節を感じられる」と目を細める。
加茂駅前の商店街もお薦め。「おしゃれなカフェや個性的な店が増えているので、足を運んでみて」
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