農場の収穫風景=北海道岩見沢市(辻村淑恵さん提供)

 北海道の開拓などを担った屯田兵の最初の入植から今年で150年。その足跡は開拓移民が広めた神楽などの伝統芸能や日常を切り取った写真乾板に今も息づく。北海道発展の基礎を築いたが、原野を切り開いた開拓には朝鮮半島出身者らの強制労働、アイヌ民族の生活を脅かした負の側面もある。開拓の歴史に潜む光と影を後世に伝える取り組みを追った。

<屯田兵> 明治時代に北海道の警備と開拓を担った兵士。明治政府が道内の治安対策などを目的に1874年に制度を創設し翌75年、現在の札幌市琴似地区に初めて約200戸が入植した。原野を切り開いて農地開墾を進めた。最後のグループが入植した99年までに家族を含め約4万人が渡った。開拓の進展と人口の増加などに伴い、1904年に制度は廃止された。

開拓移民が撮った日常

自宅前で馬に乗る辻村直四郎=北海道岩見沢市(辻村淑恵さん提供)

 開拓移民が撮影した明治期の風景を写す貴重なガラス乾板が北海道岩見沢市の民家の押し入れで2022年に見つかった。撮影者は1891年に20代で神奈川から北海道に渡った辻村直四郎で、原野を開拓して大規模農場を経営し成功を収めた人物だ。その日常の記録は、輝かしい開拓の一面を現代によみがえらせる。

自宅前で撮影された家族写真。前列中央が辻村直四郎、同左端は長女で小説家の辻村もと子=北海道岩見沢市(辻村淑恵さん提供)

 自宅前に腰かけ温和な表情で収まる家族や親戚、飼育する羊や馬と戯れる姿など、100年前の農場主の日常が浮かび上がる。直四郎が単身米国に留学し現地の日本人移民と米国の農業を学んだ時期の写真もあった。

 1930年代までの392枚。乾板はフィルム普及前の原板で細密に撮影できた。乾板を見つけた直四郎が義祖父にあたる辻村淑恵さん(75)は...

残り2291文字(全文:2763文字)