新潟市中央区の北書店で開かれた谷川俊太郎さんのトークショー。飾らない語り口で、来場者を魅了した=2012年1月
新潟市中央区の北書店で開かれた谷川俊太郎さんのトークショー。飾らない語り口で、来場者を魅了した=2012年1月

 親しみやすい言葉による詩や翻訳、エッセーで知られ、戦後日本を代表する詩人として海外でも評価された谷川俊太郎さんが11月13日、死去した。谷川さんは生前、講演などでたびたび新潟県を訪れた。交流した人たちは皆、日本を代表する詩人でありながら気さくな人柄だったと口をそろえ、谷川さんをしのんだ。県内小・中・高校の校歌作詞も手がけ、名所を視察し生徒と触れ合うなど足跡を残した。

 谷川さんとの出会いが人生の転機となったと話すのは、絵本の出版社「おむすび舎」(燕市)代表の霜鳥英梨さん(63)。

 2013年に講演で燕市を訪れた谷川さんは、霜鳥さんに「そろそろ自分の好きなことをやってもいいんじゃない」と言葉をかけた。その一言が、出版社立ち上げの大きな後押しになったという。霜鳥さんは「しなやかで深みがあって、楽しくて優しくて。もう二度と会えないかと思うと寂しい」と悼んだ。

 12年に谷川さんのトークショーを開いた北書店(新潟市中央区)の店主佐藤雄一さん(51)は「偉大だけど、とにかく気さくな人だった」と振り返る。

 「ダメ元」でお願いした出演依頼を、谷川さんが快諾。イベント前日、谷川さんは「あなたは同じ話するの好き? 打ち合わせなくていいよ」と笑顔で話し、ぶっつけ本番で臨んだ。

 店内の至る所に、詩集や絵本など谷川さんの作品が並ぶ。佐藤さんは「規格外の人だった。谷川さんの存在をずっと感じていくと思う」としみじみと語った。

 谷川さんは13、14年、佐渡市の市民イベント「ハロー! ブックス」に参加。佐渡では軽トラックの運転や地域の祭り、たらい舟などを楽しんだ。

 イベント実行委員会代表の田中藍さん(45)は、楽しみなことは何ですかという小学生の質問に「死ぬことです。まだ体験したことがないから、わくわくします」と笑って答えていたことが鮮明に記憶に残っているという。「谷川さんが残した詩や言葉は、私たちの中に息づいている」と感謝した。

 県内各地の学校の校歌作詞にも携わった。

 1980年に開校した県立新津南高校(新潟市秋葉区)の校歌もその一つ。谷川さんは82年5月、高校を訪問し、金津油田を視察したり生徒と話し合ったりして、歌詞の内容を深めたという。谷川さんはその後、新津南高校に「東京に生まれ育った私に、新津の風光はうらやましいほど美しく思えました」などとメッセージ...

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