
北朝鮮による拉致被害者の曽我ひとみさん(65)の母で、1978年に佐渡市で一緒に拉致されたミヨシさん=失踪当時(46)=が12月28日、93歳の誕生日を迎える。2002年に帰国したひとみさんは母の身を案じ続けるが、消息につながる情報はない。新潟日報社の取材に応じたひとみさんは「こんな日々がいつまで続くのか」と吐露。いら立ちや不安を抱えながら、今年も記憶の中の母に「誕生日おめでとう」と語りかける。
ひとみさんとミヨシさんは、人生の節目に贈り物を渡し合ってきた。ひとみさんは准看護師として働き始めた18歳ごろ、ミヨシさんから腕時計を贈られた。今も日ごろ左手首に着けている。初めてボーナスが入った時は、母に化粧品セットをプレゼントした。「何を渡すか、かなり悩んだが、働いてばかりの母にあげたかった。『使うのがもったいない』と言いながら喜んでくれた」と懐かしむ。
ミヨシさんの誕生日が過ぎると、テレビでNHKの紅白歌合戦を見たり、年越しそばを食べたりするのが毎年の大みそかの楽しみだった。だが、母との時間は46年間止まったままだ。実家で一人過ごす年末は寂しさが募る。

それでも実家を離れないのは、「母がいつ帰ってきてもいいように」との思いからだ。拉致されたと知らずに処分され、母娘の持ち物は多くないが、残っていたミヨシさんの洋服をひとみさんは大切に保管し、部屋もできるだけ当時のままにしている。

ひとみさんは今年、佐渡市総務課の職員として、各地で拉致問題の解決を訴えて回った。県外の特定失踪者家族らと直接話す機会もあり、「つらさを共有できたし、初めて訪れる地では関心の高さを感じた」とうなずく。一方、何度か講演した場所では来場者の減少を目の当たりすることもあり、「同じことの繰り返しではいけない」と語る。...