
羽賀友信さん
新潟県長岡市国際交流センター長で、在留外国人の支援や災害復興に尽力した羽賀友信(はが・とものぶ)さんが2月3日午後4時49分、横行結腸がんのため、長岡市内の病院で死去した。74歳だった。長岡市出身。葬儀は近親者で執り行い、お別れの会などは行わない。喪主は長男の亮介(りょうすけ)さん。
中東地域で空手を教えるなど独特の経歴で知られ、1980年にはカンボジア難民支援のため、日本政府が初の国際緊急援助活動として派遣した医療チームで、主任調整員を務めた。長岡市に帰郷後、子どもたちを海外の砂漠などに連れて行って自立を促す「自然塾」を主宰した。
2001年に長岡市国際交流センターの設立に関わり、02年からセンター長。04年の中越地震では、外国人被災者に多言語で情報を届ける仕組みをつくり、全国的なモデルとなった。被災地支援団体「チーム中越」代表、市教育委員などを歴任した。
23年末にがんが見つかった後も治療を受けながら、多文化共生のまちづくりに力を注いでいた。
◆「広い世界持っていた」「話の面白いおじいちゃん」「遺志は長岡で生き続ける」…惜しむ声続々と
2月3日に74歳で亡くなった長岡市国際交流センター長の羽賀友信さんは、世界で...
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