
日本人拉致事件北朝鮮が日本に暮らす人々を無理やり連れ去る「拉致」を行い、いまだに多くの被害者が帰国を果たせていない問題。2002年9月の日朝首脳会談で北朝鮮の当時の指導者・金正日(キム・ジョンイル)総書記が日本人を拉致した事実を初めて認める。日本政府が認定する拉致被害者は17人。このうち5人が02年10月に帰国した。政府認定被害者のほか、北朝鮮による拉致の可能性を排除できない「特定失踪者」が400人以上(民間団体調査)いる。を巡り、日本の警察当局は2002〜07年、容疑者として北朝鮮工作員ら11人を国際手配した。捜査過程では、工作員が被害者に成り済ます「背乗り」など一部の実態が明らかとなったものの、国境の壁もあり捜査は難航している。大半は北朝鮮にいるとみられ、消息も判然としないのが実情だ。
韓国から死亡情報が寄せられた金吉旭容疑者は、1928年に生まれた。大阪の朝鮮学校長を辞めた後の76年ごろ、北朝鮮工作員だった辛光洙容疑者の協力者に。77年に韓国籍を取得し、対南工作に従事した。80年6月、貿易会社の採用面接名目で大阪市の中華料理店員だった原敕晁1980年6月中旬に宮崎県内で失踪。北朝鮮は49歳で「肝硬変で死亡」と主張。84年に拉致被害者の田口八重子さん結婚したと北朝鮮は説明しているが、86年7月ごろまで田口さんと同じ招待所(拉致被害者や工作員が過ごす施設)にいた拉致被害者は結婚の事実はなかったと証言している。さん=失踪当時(43)=を呼び出した際、辛容疑者と共...
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