判決後の記者会見前に原告団長の皆川栄一さん(中央)は宙を見上げた=4月18日、新潟市中央区の白山会館
判決後の記者会見前に原告団長の皆川栄一さん(中央)は宙を見上げた=4月18日、新潟市中央区の白山会館

 「みんなが認められなければ喜べない」「国の責任が認められず残念だ」-。4月18日の新潟水俣病第5次訴訟水俣病被害を訴える新潟市などの男女が2013年12月、国と昭和電工(現レゾナック・ホールディングス)に損害賠償などを求め新潟地裁に提訴した訴訟。原告が水俣病かどうかや、九州に続き新潟県でも水俣病が発生したことに対する国の責任の有無が主な争点となっている。の新潟地裁判決。自身が水俣病熊本県水俣市のチッソ水俣工場から不知火海(八代海)に流された排水に、毒性の強いメチル水銀が含まれ、汚染された魚介類を食べた住民らに手足のしびれや感覚障害、視野狭窄(きょうさく)といった症状が相次いだ。1956年に公式に確認され、68年に国が公害と認定した。母親の胎内で影響を受けた胎児性患者もいる。根本的な治療法は見つかっていない。新潟水俣病、イタイイタイ病、四日市ぜんそくと並ぶ四大公害病の一つ。と認められても、原告団長の皆川栄一さん(80)=阿賀町=に笑顔はなかった。判決を受けた47人のうち26人は水俣病と認められたが、「全員の水俣病認定」という悲願は届かなかった。それでも「全被害者救済を実現するまで闘い続ける」と前を向いた。

 皆川さんは紺のスーツに青いネクタイで入廷した。午後1時半からの判決読み上げで、水俣病と認められる原告として皆川さんの番号「1」が最初に呼ばれたが、口を一文字に結んだままで聞いた。国に責任がないことを告げられた時は、首をかしげ、目元...

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