
大沢孝司さんとの再会を願い、支援者らとシュプレヒコールを上げる兄昭一さん(右から4番目)=2月24日、新潟市西蒲区
北朝鮮に拉致された可能性が排除できない特定失踪者北朝鮮による拉致の可能性が排除できない行方不明者。2002年に、かつて北朝鮮による拉致被害者として名前が浮上していなかった曽我ひとみさんが帰国したことなどを受け、03年に民間団体「特定失踪者問題調査会」が特定失踪者を独自にリストアップしている。政府認定の拉致被害者は、02年に帰国した5人を含めて17人。の大沢孝司さん1974年2月24日夜、新潟県新穂村(現佐渡市)の県佐渡農地事務所に勤務していた大沢孝司さんが、焼き肉店で夕食をとり、狩猟仲間の食堂を訪れた後、行方不明になった。最後に目撃された食堂は寮まで約200メートル。失踪と同時刻に車の急ブレーキのような音を聞いたという証言がある。また焼き肉店の女性は、孝司さんが国外の農地整備の仕事を持ちかけられ、悩んでいたと語っている。=失踪当時(27)、新潟市西蒲区出身=の失踪から、2月24日で51年となった。西蒲区で支援者と会合を開いた兄の昭一さん(89)は「何も進まない現状を何とか動かしてほしい」と政府に訴えた。15日には拉致被害者の有本恵子さん=同(23)=の父明弘さんが96歳で死去。特定失踪者の家族の切迫感も増している。
県佐渡農地事務所の職員だった孝司さんは1974年2月24日夜、島内の寮近くにある焼き肉店で食事後に行方不明となった。
拉致の疑いがある事案を調査している...
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