
「たなか、たなか。たなかかくえ〜い、で、ございま、す〜」。半世紀近く前、選挙カーからは車上運動員の明るく大きな声が、中越各地の小さな集落にもこだましていた。当時選挙戦を手伝った女性たちは田中角栄元首相の心根の優しさ、頼もしさを覚えている。令和の今、政界は混迷を深めており、未来に不安を持つ国民は少なくない。そんな中、彼女たちから、日本、そして新潟に元気があった昭和時代の田中氏の記憶を語ってもらった。(論説編集委員・原 崇)
元車上運動員(ウグイス嬢)の石坂幸子さん(69)=南魚沼市=

私は出身地の塩沢町(現南魚沼市)で地元の土地改良区に勤めていました。当時は選挙となれば、近くの旧家に集められて「○○候補を支援せよ」と言われた。ま、そもそもわが家はずっと田中先生を支持していたんだけどね。
令和の今だと「ハラスメント」と言われかねないけど、当時の女性職員は「お茶くみ」は仕事の一つ。選挙前後、来訪した政治家や越山会(田中後援会)の幹部らそうそうたる面々にお茶を運ばせていただいた。
田中先生がロッキード事件で逮捕された後の苦境にあった頃。上司に「選挙で先生が地元に入る。案内役をせよ」と指示された。マイクを握った経験はなく、何も分からないため「えーっ」という感じだったが、「ノー」とは言えない。おそるおそる「何をしたらいいか…」と聞けば、「車上運動員」とのことだった。
周囲には全国遊説にも随行するプロのベテランのほか(衆院中選挙区時代の)旧新潟3区全体に精通した方もいた。「なぜ私が…」と当時は疑問だったが、今思えば、地元在住の女性が選挙カーに乗ること自体に意味があるということだったのだろう。
で、即席の講習があった。候補名を連呼する際の抑揚の付け方、選挙カーで出会った有権者への手の振り方、頭の下げ方…。ベテランの方にご指導を受けた。
慣れないながらも、街宣カーの車内や街頭で「今、田中角栄が参りました」などと声を枯らしていた。移動中は田中先生とご一緒。雲の上の人だから、私は車内で緊張していた。
そんな時、さりげなく田中先生は...