上越新幹線の建設に携わり、時代の波に乗って業容を拡大した第一建設工業(新潟市中央区)。1987年、国鉄が分割民営化し、主要取引先はJR東日本となる。「受注量が大幅に減るのでは」。第一建設工業の面々はこの一大変革に危機感を抱き、鉄道工事以外の強化を急ぐ。

 強烈な追い風が吹いていた。いわゆるバブル景気のころで、新潟県湯沢町のリゾートマンションや長野県軽井沢町のホテルなど時代を象徴する案件が舞い込んだ。高級車人気を背景に、愛知県の輸入車の整備工場新築も担う。88年5月期に約250億円だった年間受注額は、わずか5年で約400億円に伸長した。

 上昇気流に乗る中、6代目社長の従野(よりの)武邦氏は「信用...

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