【2021/01/28】

 観衆は誰もいない。故郷の空へ、楽器を奏で、声を届けた。昨年10月、「My Hair is Bad(マイヘア― イズ バッド)」は新潟県上越市の高田城址(じょうし)公園野球場にいた。無観客での映像収録という異例の形の“ライブ”。ボーカル&ギター椎木知仁(ともみ)(28)は「ここにお客さんがいたら、もっともっと夢中になれる気がする」とつぶやいた。

 新型コロナウイルスは、ライブ文化に影を落とした。公演できず、お客を呼べない。廃業に追い込まれるライブハウスが続出した。

 昨年、上越市のライブハウス「上越EARTH(アース)」に電話が入った。「本当にだめになる前に、言ってください」。いざという時の支援を約束する、椎木の声だった。

 年明け、上越市は豪雪災害に見舞われた。その際も自身のツイッターで、地元の情報をリツイート(転載)するなど心配した。「上越は自分たちが守っていく場所」。いつも胸に抱いている思いだ。

高田城址公園野球場で収録する上から椎木知仁、山本大樹、山田淳(敬称略)=2020年10月、上越市(フリーカメラマン藤川正典撮影)

 3人は高校時代、EARTHで音楽の虜(とりこ)となった。2005年、女性オーナーが一人立ち上げたライブハウスは「学校以外のもう一つの居場所」(椎木)だった。

 椎木は、親の仕事の都合で各地を転々とした。小学生時代に上越に定着。野球一筋だった少年は高田商業高に入学後、白球をギターに持ち替えた。バンドを組んだが、ボーカルとして「歌いたい」という欲求が湧き、離脱した。

 高田北城高に通っていたベース&コーラス山本大樹(29)は椎木とEARTHで出会い、意気投合した。バンド結成へ「同い年をもう一人」。共通の友達のドラム山田淳(29)を誘った。バンド未経験の山田は、椎木の手ほどきでドラムの基礎を学んだ。

 高校1年の終わり、3人はEARTHそばのファストフード店に集った。山本が自身のぼさぼさな髪形を指して、つぶやいた。「My Hair is Bad」(俺の髪はひどい)。風変わりで、印象的なバンド名が決まった。マイヘアが誕生した。

3人が育ったライブハウス「上越EARTH」。店名は「大地」に由来し、「いつか戻ってくる場所」という意味がこもる=上越市北城町3
3人が育ったライブハウス「上越EARTH」。店名は「大地」に由来し、「いつか戻ってくる場所」という意味がこもる=上越市北城町3

 結成2カ月後にはライブを始めた。EARTHには当時、高校生バンドがたくさんいた。オーナーの渡邉香織(45)に、マイヘアの存在が際立っていた記憶はない。でも、「情熱だけは違った」。毎日のように3人をEARTHで見たからだ。

 高校生といえば、有名バンドのコピーが多い中、結成初期から作詞作曲に取り組んだ。その中に「声」というバラードがある。問い掛けるような歌詞が、妙に渡邉の心に触れた。「高校生がこんなストレートな曲を書けるんだ」と感じた。

 「めちゃくちゃいい曲あるやん」。渡邉の推薦で出演したライブのリハーサル。「声」を聴いた大阪のインディーズ(独立系)レーベル「THE NINTH APOLLO(ザ ナインス アポロ)」社長からの思いがけない一言が、椎木の胸に刺さった。

 ライブ後の打ち上げ。椎木は先輩に唆され、社長の目前に立った。会社が売り出し中の別のバンドのポスターを破り捨てた。大勢いた会場が静まりかえった。一拍置いて、一人だけ笑った。社長だった。

 音楽も、型破りな行動さえも、あの日は受け入れられた。「目をかけてくれているのかなって。それから、全ての物事が動き出した」と椎木は振り返る。

 ナインスアポロは活動を応援してくれた。「マイヘアと一緒にやりたい」。そんなバンドの声がいくつも届いた。県内に来るさまざまなバンドのライブに出演するようになった。

 刺激的な高校生活だった。でも、山本には「音楽で食べていくビジョンはなかった」。卒業後、山本は大学へ進学、山田は地元企業に就職した。

 椎木も県内の大学に合格していた。でも、そこで気付いた。「俺がやりたいのは、やっぱりバンドだ」。入学は直前で取りやめた。(敬称略)

【My Hair is Bad】
◎椎木知仁(しいき・ともみ)1992年3月19日生まれ。高田商高卒。趣味は酒。ボーカル&ギター。
◎山本大樹(やまもと・ひろき)1991年8月21日生まれ。高田北城高卒。趣味は料理。ベース&コーラス。
◎山田淳(やまだ・じゅん)1991年12月18日生まれ。高田商高卒。好きな動物は猫。ドラム。