
日本バスケットボール界のレジェンドが、再び新潟に帰ってきたー。新潟県上越市出身のポイントガード、五十嵐圭選手(44)が7月1日、かつて所属した新潟アルビレックスBBに復帰することが発表された。
2000年に日本初のプロバスケチームとして誕生した新潟アルビレックスBB。そのチームの歴史の中で、2018-19年シーズンは語り草になっている。2016年のBリーグ加入後、初の地区優勝とプレーオフのチャンピオンシップ進出を成し遂げた。その立役者が五十嵐選手だ。当時、アルビBBの取材を担当していたのが運動部に所属していた自分だった。今回の「圭さん」復帰のニュースを聞き、あらためて、その存在の大きさを思い返し、新潟の復活への期待をつづりたい。(報道部・渡辺隼人)
“先駆者”新潟が放った輝き
2019年4月13日。中地区優勝に王手をかけた新潟は、川崎市とどろきアリーナで地区2位の川崎ブレイブサンダースとの決戦に臨んだ。
川崎は篠山竜青選手ら複数の日本代表を擁する強豪。一方の新潟は、主力でベテランの柏木真介選手が1試合の出場停止となっていて、不安材料を抱えて挑んだ。ただでさえ、対戦成績は新潟が1勝3敗と負け越しの状態だった。

試合は息の詰まるようなシーソーゲームだった。新潟は主力だけでなく、柏木選手の穴を埋めるように控えも奮起し、選手全員が攻守で持ち味を発揮。最後は80-78のわずか2点差で競り勝った。試合終了を告げるブザーが鳴ると、五十嵐選手は両腕でガッツポーズし、仲間と喜びを分かち合った。
試合後の会見には多くの報道関係者が集まった。五十嵐選手は「ここにいるメディアの皆さんもそうだが、皆さん、新潟には期待していなかったと思う。それを覆すことができた」と力強く語った。
「チャンピオンシップ進出を目標に掲げながら一戦一戦を戦う中、選手も僕も手応えを感じていた。その手応えがチームのコミュニケーションや連係につながって、勝ち癖みたいなものもついて、最終的には地区優勝につながってくれた」
このシーズン、新潟は強かった。全60試合で45勝15敗とし、勝率7割5分、B1全18チーム中3位で終えた。五十嵐選手は出場した59試合全てで先発。1試合平均で、得点の11・5点はチームの日本人で最多、アシストの5・2本はチーム最多をマークし、数字の上でも地区優勝に大きく貢献したことが分かる。
地区優勝後の会見では「キャリアの中で優勝が初めてだったので、素直にうれしい」と語った。爽やかな笑顔が印象的だった。

続くチャンピオンシップの準々決勝。長岡市のアオーレ長岡で、前シーズン王者アルバルク東京と対戦。1戦目を落として迎えた第2戦は、前日を上回る4835人、超満員の観客で会場はオレンジに染まった。「アルービレックス」という大声援が鳴り響いた。だが、惜しくも3点差で敗戦が決まってしまう。それでも健闘をたたえる大きな拍手が湧いた。地区優勝し、チャンピオンシップまで連れてきてくれた、日本一への夢を見せてくれたチームに対する感謝が込められていた。
敗退後、五十嵐選手は悔しさをのぞかせつつも「3シーズン目でチャンピオンシップ進出、中地区優勝という経験ができて、新たなスタートラインに立てた。新潟アルビレックスBBとして新たな一歩を踏み出すいい機会になった」と前を向いて話した。日本一こそ叶わなかったが、バスケ界の中でプロ化を先導した新潟が、誇りを示したシーズンだった。
誰もが「次こそは」と願った。だが、それが...