7.13水害で堤防が決壊した旧中之島町の刈谷田川。右岸は見附市今町=2004年7月14日(新潟日報社ヘリから)
7.13水害で堤防が決壊した旧中之島町の刈谷田川。右岸は見附市今町=2004年7月14日(新潟日報社ヘリから)
7・13水害後に設置され、災害時に避難情報などを伝えるスピーカー=長岡市中之島(新潟日報社小型無人機から)

 新潟県内で15人が犠牲になり、約1万4千棟の住宅が被災した2004年の7・13水害から、24年7月13日で20年。水害では、三条市の五十嵐川や見附市、中之島町(現長岡市)の刈谷田川が決壊し、濁流が市街地をのみ込んだ。被害を教訓にした河川整備が行われ、いざという時に備えた避難訓練も続けられている。一方で、気候変動により豪雨が頻発化。過去の想定や知見を超えるレベルで防災を考える必要に迫られている。命や財産を守るための備えは十分なのか。(4回続きの4)

 2004年7月13日午後0時52分、中之島町(現長岡市中之島地域)を流れる刈谷田川が決壊した。2時間ほど前に刈谷田川は警戒水位を超えていたが、避難勧告が発令されたのは決壊のわずか12分前だった。発令後は広報車が市民に避難を呼びかけたが、豪雨の音にかき消され、正確な情報は届けられなかった。

 当時、消防団員だった長岡市中之島の山﨑祐一さん(57)は決壊直後の午後1時ごろ、みるみる増えていく水に巻かれ、...

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