
大沢孝司さんの兄昭一さん(右)らが孝司さんの拉致認定を訴えた総会=3月9日、新潟市西蒲区
北朝鮮による拉致の可能性が排除できない特定失踪者北朝鮮による拉致の可能性が排除できない行方不明者。2002年に、かつて北朝鮮による拉致被害者として名前が浮上していなかった曽我ひとみさんが帰国したことなどを受け、03年に民間団体「特定失踪者問題調査会」が特定失踪者を独自にリストアップしている。政府認定の拉致被害者は、02年に帰国した5人を含めて17人。、大沢孝司さん1974年2月24日夜、新潟県新穂村(現佐渡市)の県佐渡農地事務所に勤務していた大沢孝司さんが、焼き肉店で夕食をとり、狩猟仲間の食堂を訪れた後、行方不明になった。最後に目撃された食堂は寮まで約200メートル。失踪と同時刻に車の急ブレーキのような音を聞いたという証言がある。また焼き肉店の女性は、孝司さんが国外の農地整備の仕事を持ちかけられ、悩んでいたと語っている。=失踪当時(27)、新潟市西蒲区出身=の同級生らでつくる「再会を果たす会」が3月9日、新潟市西蒲区で総会を開いた。孝司さんの兄昭一さん(89)や識者、国会議員による討論を行い、約90人が孝司さんの拉致認定の実現に向けて考えた。
孝司さんは県佐渡農地事務所の職員だった1974年2月24日夜、旧新穂村(佐渡市新穂地区)にある寮近くの店で食事をした後、行方不明になった。再会を果たす会は2004年に結成され、孝司さんの拉致被害者としての政府認定と帰還を求め、活動している。
9日は、特定失踪者問題調査会の荒木和博代表が06年を最後に追加認定...
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