

大相撲夏場所(両国国技館)で、大関大の里(本名・中村泰輝)が初の横綱昇進に挑む。生まれ育った石川県から糸魚川市に相撲留学し、能生中学と海洋高校で鍛錬を重ねた新潟の“郷土力士”だ。新潟日報が報じた中村泰輝選手の戦績を振り返り、綱とりを後押しする。
「中村泰輝」の名前が初めて新潟日報に掲載されたのは2013年8月16日。全国中学校体育大会(全中)に出場する選手名簿だった。
岐阜県で行われた全中に、1年生ながら団体の予選に中堅として出場した。「決勝トーナメントにつなぎたかった。思いきりいった」とコメントが掲載されている。チームは残念ながら決勝トーナメント1回戦で敗れた。
その後は新潟県選手権中学2年の部で優勝、東日本選抜中学校大会で団体優勝、新潟県小中学生大会の中学個人無差別で優勝するなど、着実に成長していった。
初めて写真付きで掲載したのは、15年8月の北信越中学校総合競技大会だ。福井県立武道館でライバルを撃破し、個人重量級を制した。「すごくうれしい。前に出ることができた」と胸を張った。
記事によると、中学3年にして身長188センチ、体重135キロの恵まれた体格を誇っていた。さらに、自他ともに認める相撲好きで、大相撲はもちろんアマチュア相撲の映像もチェックする研究熱心な少年だった。全中では優勝を期待されたが、惜しくも決勝トーナメント3回戦で敗退した。

能生中時代の集大成的な戦績は、16年1月に両国国技館で開かれた「第6回白鵬杯」優勝だ。横綱白鵬(現・宮城野親方)が主催する国際親善交流少年相撲大会で、315人が競った個人中学生の部で頂点に立った。白鵬杯の優勝は新潟県勢初の快挙だった。
海洋高では全国大会の常連として活躍した。1年生で出場した全国高校総合体育大会(インターハイ)で、強豪を次々と破り準優勝に輝いた。しかし決勝で寄り切られると、「優勝しなければ意味がない」と人目をはばからずに泣いた。

個人だけでなく、団体でも快進撃を続けた。1学年上には嘉陽快宗(前頭16枚目・嘉陽)と高橋優太(十両3枚目・白熊)がいた。16年8月の選抜高校十和田大会、17年2月の全国選抜高校弘前大会を制した。
17年3月の全国高校選抜大会では銀メダルを手にした。決勝で強豪の埼玉栄に敗れ、「悔しい。甘さが出た」と巻き返しを誓う大会となった。
しかしその後は思うような戦績を残せない大会が続いた。1年生で準優勝したインターハイは、2年生が個人決勝トーナメント1回戦敗退、3年生は決勝トーナメント進出を逃してしまった。
高校最後の夏、悔しい思いはすぐさまに晴らし、勝負強さを発揮した。インターハイの10日後に開かれた選抜高校十和田大会。160人が出場したトーナメント戦を勝ち抜き、初優勝を果たした。「やっとタイトルを取れて、ほっとしている。大会前に大学生と稽古をつめたことが自信につながった」と胸を張った。

この年の秋には福井県で開かれた国民体育大会の個人戦で3位に食い込んだ。「新潟での6年間の集大成。うれしい、悔しいより、やりきった」。身長193センチ、体重160キロに成長した大器の目に涙があふれていた。


海洋高校を卒業し日本体育大に進んでからは、国体に新潟県代表として出場した。新型コロナウイルス禍による2年間の開催中止をはさみ、19年と22年に個人を連覇し、成年男子団体の4連覇と5連覇にも貢献した。国体では無敵の強さを誇った。
中学と高校の6年間を糸魚川で過ごし、大学では新潟県の代表としても稽古を重ねてきた。「自分が強くなった新潟に恩返ししたかった」。第二の故郷での鍛錬が、横綱を目指す礎になっている。
大の里は、実は既に3回も「横綱」になっている。
全国から精鋭が集まる日体大で日々もまれた大器は、1年生の秋に早くも結果を出した。2019年10月の茨城国体で成年個人を制した勢いで臨んだ11月の全国学生選手権だ。初出場で優勝を決め「学生横綱」の座をつかんだ。1年生の学生横綱は1990年以来29年ぶりの快挙だった。

「1年生なので元気のいい相撲を取るだけ。何も考えずに前に出ることだけ考えた。しっかり体をつくって、(大学で)中村時代をつくっていきたい」と、さらなる鍛錬を誓った。
「中村時代」の到来を感じさせたのは、3年生として迎えた21年12月の全日本選手権だ。「アマチュア横綱」の栄誉をかけた大会で初優勝を果たし、二つ目の「横綱」を獲得した。
記事によると、中村選手は前年の全日本選手権をベスト8で敗退して以降、失意から抜け出すために誰よりもぶつかり稽古を積み、精神面も磨いてきた。苦難の末につかんだアマ横綱。「変わろうと思った1年だった。久々に光を浴びた感じがした」と、こみ上げる涙をぬぐったという。
大学生活最後の1年は「中村時代」を実感させる年になった。22年10月の栃木国体で成年個人を連覇。11月の全国学生選手権は決勝で敗れ2度目の学生横綱は惜しくも逃したが、12月に行われた全日本選手権で堂々の連覇を果たし、2度目のアマ横綱に輝いた。連覇は1996、97年の田宮啓司(元大関琴光喜)以来となる25年ぶりの偉業だった。

学生横綱1回、アマ横綱2回-。新潟日報は「アマ最強 角界へ弾み」という見出しで大器の可能性を伝えた。「中村泰輝の名前で出る最後の試合だった。大会史に名前を刻めて良かった」と歓喜の余韻に浸ったという。
中村泰輝から大の里となり、初土俵を踏んだのは2年前の夏場所。幕下10枚目格付け出しをスタートに、超スピードで出世の階段を駆け上がる。年6場所制となった1958年以降で最速になる横綱昇進を、多くの好角家が期待している。...